伊豆七不思議と昔から伝わる伝説・民話・史跡など

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伊豆に伝わる七不思議や伊豆の民話や伝説・史跡に関係する情報などを複数紹介しています。

 

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伊豆の七不思議

独鈷の湯

修善寺の目の前にあり、修善寺温泉を象徴する景色として使われることも多い温泉です。
かつて弘法大師がここで病気の父親の背中を冷たい川の水で流す少年を見かけた時に、「川の水は冷たいだろう」と鈷で岩を叩いたところ、温泉が湧き出たという伝説があります。

修善寺の独鈷の湯

 

手石の阿弥陀三尊

若くして妻を失った七兵衛という猟師の三男が病気になってしまった。
ある日、夢に観音様が現れ「洞窟の海底にある鮑を食べさせよ」と言いました。

 

七兵衛は洞窟へ小舟で入ると、黄金の光りと三体の仏様が現れました。
ひれ伏した七兵衛が目を上げると船には数多くの鮑が投げ込まれており、これを三男に食べさせたところ病気が回復したという話です。

 

石廊崎権現の帆柱

江戸時代にこの石廊崎付近で播州(現兵庫県)の船が難破しそうになり、「もしこの嵐から生き延びることができたら、この船の帆柱を石室神社に奉納しよう」と誓ったところ無事に江戸に着くことができたと言います。

その帰りに石室神社を通ると嵐に遭い、帆柱を奉納した誓いを思い出し、帆柱を切り離すとこの石室神社の社殿まで奉納されたかのように打ち上げられ、嵐が止み、船は無事に播州に寄港したとあります。

 

大瀬崎の神池

大瀬崎は沼津の内浦から西伊豆へ向かう西端にある岬です。
ここはダイビングでも有名ですが、淡水の池があり、そこには沢山の鯉がいることでも知られています。

 

これだけ海に近い場所にあるにも関わらず、淡水であることが謎とされ、伊豆の七不思議といわれています。

 

 

函南のこだま石

函南にある「こだま石」は若くして夫を無くした「おらく」と子供の「与一」が貧しいながらも熱海へ野菜を売りに行く際に親子で休んだ場所です。
しかし、おらくは体を弱らせてしまい亡くなると、与一は深く悲しみこの石の前で「おっかあーよ」と嘆いていました。

 

そうするとこの石の付近から「与ーや、与一」とおらくの声が聞こえて来たと言います。
このことから後に「こだま石」と呼ばれるようになったと言います。

民話:函南のこだま石

 

堂ヶ島のゆるぎ橋

心が汚れたものが通ると橋は大きく揺れると言われている橋です。
現在は一部のみが残されているだけです。

 

この橋の木材で夜にたき火をすると、夜尿が治るという話もあるようです。

 

河津の鳥精進酒精進

昔河津に杉桙別命という男がおり、酒に酔って野石で寝ていると周りを火に囲まれてしまいました。
すると無数の鳥が河津川から水を運び、火を消してくれたという話です。

 

この伝承から河津では、鳥・卵・酒を食さない一定の期間があると言います。

 

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その他の伊豆の伝説・民話・不思議な話

その他の伊豆に伝わる伝説や民話、不思議な話です。

 

日金山の鬼 伊豆で亡くなった魂は日金山へ行く

伊豆には亡くなった魂が伊豆の日金山に集まるという話が残ります。
日金山は伊豆北部の熱海の伊豆スカイライン付近にあります。

 

民話:日金山の鬼 〜魂は全て日金山へ向かう話〜

 

伊豆山の走り湯

源実朝の金槐和歌集にも”伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり”と書かれているように、大昔から知られている温泉です。

ここは横穴式源泉が珍しい温泉で洞窟を入ると源泉が見られます。

伊豆山温泉の走り湯

 

伊豆山神社の

伊豆山神社

熱海北部にある伊豆山神社は、走り湯が龍の口、神社が頭、尾が箱根の芦ノ湖にあると言われています。
ここはかつて伊豆権現と言われ、浅井了意の『東海道名所記』には鎌倉右大将(源頼朝)が伊豆山神社と箱根神社をよく参詣していたという話が紹介されています。

” むかし、かまくらの右大将、伊豆・はこねを信じ。つねに二所参詣をいたし給へり。”

江戸時代にはすでに箱根神社・伊豆山神社が知られていたことが窺い知れます。
源頼朝は伊豆との関わりが深く、伊豆山神社以外にも伊東市の音無神社にも縁があります。

 

役行者

役行者(えんのぎょうじゃ)は飛鳥時代から奈良時代まで活躍した呪術師で修験道を開祖しました。
都で罪に問われて伊豆へ流され、夜な夜な伊豆大島からここまで飛んできていたと言います。
そのことから足腰を強くしてくれる神様ともいわれています。

 

源頼朝と北条政子の腰掛け岩

伊豆山神社の腰掛け石

北条政子と源頼朝はここ伊豆山神社で逢瀬を重ね、この石に腰掛けたと言われています。
それからこの石を腰掛け石と言います。

 

熱海大湯間欠泉

熱海七湯大湯間欠泉

熱海の大湯間欠泉はかつては昼夜に6回噴出していましたが、現在は1923年の関東大震災の影響を受けて一度噴出し、その後止まってしまいました。

「熱海温泉七湯巡り」をすると、熱海の歴史ある源泉と温泉街としての情緒を探ることができます。

 

あつうみのお汲み湯

熱海の名湯はかつて江戸時代に徳川幕府に献上されたという記録が残っています。
これを”お汲み湯”と言って、当時は檜の桶に温泉を入れて、箱根を通り江戸に運んだと言います。

 

将軍に献上される温泉であったことから地面に置くことが許されずに、男達が運んだようです。
徳川家康は特に温泉が好きであり、箱根木賀温泉からも温泉を献上させた他、ここ熱海には関ヶ原の戦いの前・後にも訪れています。

 

民話:江戸時代の徳川幕府に献上された熱海”あつうみ”のお汲み湯

 

音無神社

 

かつて伊東祐親の居た伊東にある神社です。
ここは源頼朝と伊東祐親の3女である八重姫が逢瀬を重ねたと言われる場所で、2人の子供であった千津丸は伊東祐親の怒りを買ってしまい(諸説有り)、千津丸は川に流されてしまいました。(後に富戸の産衣石付近で見つかる)

 

現在は安産祈願から穴の空いた柄杓が沢山あります。
安産祈願で訪れた人は、ここで穴の空いた柄杓を借りて、出産後には穴の空いた柄杓と新たに購入した柄杓に穴を開けて返却するという風習があります。

 

⇒ 穴の空いた柄杓で溢れる伊東の音無神社。安産祈願で有名でかつては源頼朝と八重姫の伝説があります。

 

産衣石

 

上記の音無神社で紹介した千津丸は、ここで釣りをしていた甚之右衛門に見つけられました。
その際に、高貴な着物を着ていたことから甚之右衛門は「身分の高いお人だ」と思い、ここ産衣石の上で着物を乾かし、大切に葬ったという話があります。

 

後にこの話を聞いた源頼朝は、この甚之右衛門を賞賛し、生川(うぶかわ)という姓と杯を授与したと言います。

 

伊豆富戸にある産衣石は千津丸が流れつき、着物を乾かした石

 

富戸の海坊主

富戸は日本で2番目に深い相模湾に面しています。
この富戸の沖には、漁師の間で海坊主が出たという伝説が残されています。

 

静まり返った夕方に海坊主が現れると「柄杓を貸せ」と言い、柄杓を渡すとそれを使って船に海水を注いで沈没させられたという話です。
この話以後、漁師は穴の空いた柄杓を渡すようになったという話です。

 

興味深いことは、この富戸で千津丸が見つけられ、その着物が富戸の産衣石で乾かされ、千津丸と縁の深い音無神社には穴の空いた柄杓を納める習慣があることです。

 

民話:富戸の海坊主

 

伊豆大川のぼなき石

 

江戸時代に江戸城の築城石にここ東伊豆の石がよく使われました。
ここ東伊豆には石丁場が多く、このぼなき石もその築城石として使われるはずでした。

 

しかし、この石を運ぶことができなかったことから、村人達の間で「ぼやき」をしてしまい、ぼや(な)き石と言われるようになりました。

 

 

⇒ 江戸城の築城石に利用されるはずだった「ぼなき石」

 

稲取どんつく

稲取ではどんつく祭りという奇祭があります。
日本中に変わったお祭りがありますが、ここ稲取は特に変わった祭りであり、文化的に濃い地域だと思います。

 

どんつく飴という「まさに!」という飴もありますので、興味が有る方は見てみると良いです。

 

伊豆稲取の雛

かつて着物の切れ端などで子供の成長を祝ったという文化です。
金目鯛や桃、猿、柿など様々な飾りが綺麗です。

 

日本三大つるし飾りとして秋田酒田の傘服・福岡県柳川のさげもんと並んで有名です。

 

⇒ 稲取文化公園「雛の館」へ行ってみました。

 

カッパの瓶

 

かつてここ谷津に住んでいた河童が悪さをしていたところ、村人に捕まり危うく懲らしめられるところを和尚さんに助けてもらいました。
河童は引っ越すことを決意し、その夜に和尚を訪ね、助けてもらったお礼に「瓶」をお渡しました。

 

この瓶は耳を済まて近づけると川の水の音が聞こえると言います。

 

民話:かっぱの瓶 〜河津谷津の昔話〜

 

天城河津の七滝

河津の七滝にはかつて3人の天狗兄弟が7つの頭を持つ大蛇を7つの酒を入れた樽で酔わせ、退治したという民話が残ります。
その7つの樽を滝に流したことから河津七滝と言うといいます。

 

伝説:天城の七滝 〜河津七滝の由来は3人の兄弟天狗〜

 

修善寺の五つ橋の恋の御利益

修善寺には桂川沿いに5つの橋が掛かっており、それぞれには恋の御利益があるといいます。
渡月橋・虎渓橋・桂箸・楓橋・滝下橋には「良縁祈願」「恋愛成就」「子宝祈願」「結婚祈願」「夫婦円満」とそれぞれの願いあります。

【行ってみた】修善寺の五つの橋はまさに恋の橋

 

中伊豆吉奈温泉の子宝の湯

奈良時代には行基が開いたという伝説がある中伊豆の温泉地です。
かつて江戸時代にはお万の方が訪ねたことでも有名です。

 

小杉原と大蛇

かつて伊豆の山地には大蛇が住んでおり、これが里に悪さをしていました。
これを聞いた甲斐の国の猟師は大蛇を退治しようとしますが、飲み込まれてしまいました。

 

この猟師の娘達は弓を習い、伊豆へ向かい大蛇へ弓を引き、父親の仇を取りました。
そして娘の1人である小杉が住んだ土地を小杉原と言うようになりました。

 

伝説:大蛇と小杉原と蛇岩

 

蛇石

上記の小杉原から近い場所には蛇石があります。
ここ伊豆半島には大蛇の伝説が多く、この石はまさに蛇が石になったように見えます。

【蛇石】まさにベビが石になったようにしか見えない

 

【ふく太郎とおよねの恋の話】恋人岬

かつてふく太郎とおよねという男女が恋に落ちていたところ、神様が現れ、鐘を2つ渡しました。
およねはこの鐘をこの恋人岬で鳴らすと、それを聞いたとふく太郎は恋人岬沖の船からこの鐘を鳴らし合ったと言います。

 

このことから恋人岬には大きな鐘が飾られています。

 

【実際に行ってみました】西伊豆恋人岬は富士山と駿河湾の絶景。かつてはふく太郎とおよねの恋のお話が残ります。

 

金の棺桶

異例の大出世をした土肥金山の大久保長安が転落するお話です。
家康に重宝された長安は、欲に目をくらましてしまい、最後は亡くなってしまいました。

 

金の棺桶に入れて欲しいという願いは家康によって禁じられ、一族も斬首される刑に処されたとのこと。

民話:土肥金山と棺桶

 

瞽女展望地

かつて盲人の瞽女がここ戸田峠で遭難したことから、お地蔵さんが建てられています。
三味線を弾き語る盲目の女旅芸人を瞽女といい、ここで拝むと芸事が上達すると古くから言われています。

 

井田の明神池

井田の明神池

この画像の右にある池が明神池です。
ここも大瀬崎の神池のように駿河湾がこれだけ近いにも関わらず淡水で、ウナギやタニシがいるようです。(捕獲は禁止されています)

 

西浦木負の仙人みかん

沼津市の西浦木負では、ある年大きなみかんがなりました。
それを見た男はこのみかんから声が聞こえてくることに気がつくと、穴を開けて中を見たところ、2人の長寿が囲碁を打っていることに気がつきます。

 

男は負けている長寿の囲碁を応援していると、もう1人の長寿に気づかれてしまし、その瞬間に3人の間で大きな笑いが生まれました。
2人の長寿は笑いながら囲碁をふざけるように男へ投げると、あっという間に消えてしまい、みかんが落ち、沢山の種が収穫されました。

 

この種を植えたところ、出来たみかんは甘さや味が良いことからさらに有名になったとのことです。

 

民話:沼津西浦木負の仙人のみかん

 

言成地蔵尊

かつてここに源内の娘小菊がおり、参勤交代の列を横切ってしまったために手打ちにされた悲しい話が残ります。

 

民話:三島の言成地蔵尊と小菊

 

狩野川の鮎釣り

”狩野川を制するものは全国を制す”と言われる程の鮎釣り場で、鮎の友釣り発祥の説があります。

 

 

伊豆
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