【箱根神社へ行ってみた】箱根神社の歴史やゆかりの深い人物から駐車場のアクセスと周辺観光。

 

箱根神社

箱根神社は箱根芦ノ湖の畔にある奈良時代に万巻上人によって建立された神社です。
かつては箱根権現と呼ばれ、源頼朝・北条政子・北条氏綱・足利持氏・徳川家康など多くの偉人とゆかりがあります。

 

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の感想
  • 奈良時代〜鎌倉時代〜江戸時代と日本史の多くの偉人が訪れている
  • 特に鎌倉幕府の源頼朝・源実朝・北条氏との関わりが深い
  • 平和の鳥居はインスタ映えしますが、大行列が出来ており撮影に時間がかかる
  • 箱根へ行くなら行きたい神社

 

箱根神社の歴史

  • 天平宝字元年:757年:万巻上人が寺院と霊廟を建立
  • 延暦20年:801年:坂上田村麻呂が表矢を献上
  • 弘仁8年:817年:嵯峨天皇、駿豆相の三州を寄進
  • 治承4年:1180年:別当行實、石橋山で敗戦した源頼朝を匿う
  • 寿永元年:1182年:源頼朝、北条政子の安産祈願のため奉幣遣を派遣
  • 文治元年:1188年:源頼朝、二所詣のため参詣
  • 建久5年:1194年:北条政子、二所詣のため参詣
  • 建永2年:1206年:源実朝、二所詣のため参詣
  • 貞永元年:1232年:『御成敗式目』で起請文に記載される
  • 文暦元年:1234年:親鸞上人、参詣
  • 嘉禎3年:1237年:藤原頼経、参詣
  • 中世三大紀行文 『東關紀行』での記載
  • 正嘉5年:1258年:早良親王、参詣
  • 成安4年:1302年:北条貞時、参詣
  • 文保2年:1318年:北条高時、参詣
  • 応永23年:1416年:足利持氏を保護
  • 文保2年:1318年:北条高時、参詣
  • 大永3年:1523年:北条氏綱が社殿を造営する
  • 慶長17年:1612年:徳川家康、社殿を造営する
  • 寛文7年:1667年:徳川家綱、社殿を造営する
  • 元禄10年:1697年:徳川綱吉、社殿を修復する
  • 明治元年:1868年:神仏分離令により箱根権現から箱根神社に
  • 明治6年:1873年:明治天皇皇后両陛下、幣帛料を御奉納
  • 明治25年:1892年:皇太子(大正天皇)、御参拝
  • 大正12年:1923年:関東大震災で社殿損傷
  • 昭和3年:1928年:国幣小社に昇格
  • 昭和21年:1946年:社格廃止
  • 昭和24年:1949年:昭和天皇、幣帛料を御奉納
  • 平成4年:1992年:平成天皇、幣帛料・神饌料を御奉納

 

1228年に社殿が火災

箱根神社は1228年11月に社殿が焼けてしまったと『吾妻鏡』に記載があります。

安貞二年十一月小九日己夘。筥根山神社佛閣火災事。滿月上人草創當山以後五百余歳。未有此例。引用:『吾妻鏡』

とあり、「万巻上人が箱根神社を創建してから500年余り、このようなこと(火災)は無かった」とあります。
つまり、安貞2年の1228年には火災があったということです。

 

これは江戸時代の浅井了意の『東海道名所記』にもこのように記述があります。

三所権現(箱根神社)ハ、むかし孝謙天皇の御世、天平宝字年中に。万巻上人はじめて、これを立らる。
其後五百年余歳をへて。此やしろ焼けたりけるを。北条家平泰時時再興して、あがめまつれり。

と記しており、箱根神社はすでに江戸時代以前から有名な神社として知られ、過去に火災があったことが広く知れ渡っていたことがわかります。

 

関東大震災・豆相地震で損壊

1923年の関東大震災や1930年の豆相地震で損壊しています。
1933年には再建のための地鎮祭が行なわれ、1936年に復興を果たしました。

 

箱根神社の歴史と関係する人物

箱根神社は奈良時代に建立され、箱根路(湯坂路)が開通すると多くの人が旅の安全祈願に訪れました。
江戸時代になり関所や街道が整備されると箱根神社は庶民信仰としても栄えます。

万巻上人

箱根神社は天平宝字元年の757年に万巻上人が寺院と霊廟を建立しました。
万巻上人は神仏習合の先駆者で聖僧です。

征夷大将軍坂上田村麻呂

征夷大将軍坂上田村麻呂は表矢を献上しています。
表矢を献納したと伝えられる杉が「矢立ての杉」として手水舎の前にあります。

 

源頼朝

中世には1180年の石橋山の戦いで源頼朝が敗戦するとこの箱根へと逃亡し、後に源頼朝の挙兵を別当行実が助けたことから幕府の庇護を受けます。
別当行実は弟僧であった永實に食料を運ばせ、箱根山中に居た源頼朝や北条時政らを援助し、神社で匿っていました。

それから鎌倉幕府を開いた源頼朝はここ箱根権現(箱根神社)と走湯権現(伊豆山神社)を詣でる「二所詣で」を行い、箱根神社を重宝しました。

 

『吾妻鏡』の建久2年の二所詣の記述には

二月四日未、前右大将家二所に御参。辰の剋横大路を西行し、まづ鶴岳宮に御参。

とあります。
源頼朝は二所詣での際には

  • 水干姿で「御精進」を行なう(将軍が由比ケ浜で海水を浴びる)
  • 7日間の参籠
  • 鶴岡八幡宮を参拝
  • 浄衣に着替えて出発する

という特徴がありました。
この二所詣には約1週間の時間が必要で、さらにその道中では相模・伊豆などの武士が警固していました。

二所詣の参拝先は箱根神社、三島大社、伊豆山神社です。
三所詣で無い理由は三島大社は三島明神であり、箱根と走湯は権現であったためだろうと言われています。

またルートについては

  1. 鎌倉→箱根権現→三島大社→走湯権現→鎌倉
  2. 鎌倉→走湯権現→三島大社→箱根権現→鎌倉

などのルートがあります。
この鎌倉から箱根へのルートについては現在の旧東海道ではなく湯坂路が利用されています。

 

この二所詣は知られるところとなり、江戸時代の浅井了意の『東海道名所記』には

むかし、かまくらの右大将、伊豆・はこねを信じ。つねに二所参詣をいたし給へり。

とあります。
鎌倉の右大将とは「源頼朝」のこと、伊豆は「走湯権現」、箱根は「箱根権現」のことです。
このように箱根神社の存在は江戸時代にはよく知られている事実です。

 

また源頼朝は伊豆との関係が深く、走湯権現である伊豆山神社では北条政子と逢瀬を重ね、共に腰掛けた腰掛け岩が残ります。
伊東市の音無神社では伊東祐親の三女である八重姫と逢瀬を重ね、2人の子である赤子の千津丸が流されてしまい、伊豆富戸(産衣岩)で見つかった話が残ります。

 

源実朝の時代でも箱根神社は重宝された

三代将軍源実朝の時代もこの二所詣は行なわれていました。
『金槐和歌集』(『鎌倉右大臣歌集』)には

  • たまくしげ箱根の海のけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ
  • 箱根路をわれ超えくれば伊豆のうみや沖の小島に波の寄る見ゆ

とあります。
源実朝も箱根越えの際にはこのように歌ったといわれ、三代将軍の実朝の時代にも箱根神社に参拝する二所詣が行なわれていたことがわかります。

  • 箱根路をわれ超えくれば伊豆のうみや沖の小島に波の寄る見ゆ

については、伊豆スカイラインの入口に近い十国峠付近の日金山頂上付近に石碑があります。
ちょうどその付近からは広がる相模湾の初島が見られ、源実朝は同じような景色を見ていたのだと思います。

源実朝が参詣できない場合は奉幣使を派遣しています。
1204年は北条義時が奉幣使として派遣されています。

 

北条政子

北条政子が御台所の時代やそうでない時期にも二所詣をされています。
寿永元年の1182年には源頼朝が北条政子の安産祈願のために奉幣遣を派遣して奉幣。
建久5年の1194年には北条政子が参拝しています。

北条泰時

1239年に二所詣が行なわれています。

 

未詳:1242年 中世三大紀行文 『東關紀行』

芦ノ湖と箱根神社の平和の鳥居

中世三大紀行文の1つである1242年に書かれたとされる『東關紀行』には箱根神社と芦ノ湖が紹介されています。
『東關紀行』は三島より箱根路を超えて湯本、そして鎌倉へ向かう紀行文です。

当時の景色としては、ちょうどこの画像のように見えていたのだろうと推測します。(平和の鳥居はありませんが)
『東關紀行』の中には以下のように記載があります。

岩がね高くかさなりて、駒もなづむばかりなり。山の中にいたりて、みづうみ廣くたたへり。箱根の湖となづく、また蘆の海といふもあり。
権現垂迹のもといも気高く尊し。朱楼紫殿の雲に重なれる粧ひ、唐家驪山宮かと驚かれ、巌室石龕の波にのぞめる影、銭塘の水心寺ともいひつべし。

この中で権現垂迹の〜以降が筆者の箱根神社の感想です。
筆者は箱根神社を唐の楊貴妃の離宮や水心寺の美しい風景に重ねて誉め称えています。

すでに箱根神社はこの時代から優美な姿であったのだと歴史書から伺うことができます。

 

鎌倉時代末期の北条氏

貞時・高時の時代にも二所詣が行なわれています。

 

足利持氏

1416年の禅秀の乱で箱根権現が足利持氏を援護しています。
後に足利持氏は箱根権現修理代として上総國の段別銭十疋を寄進しています。

 

北条氏綱

北条氏綱は大永3年の1523年に社殿を造営しています。
「大永三年箱根三所大権現宝殿造営棟札」が宝物殿が展示されています。

 

徳川家康

慶長11年(1606年)、箱根権現別当義山から依頼を受けた家康は社殿造営を行なう。
宝物殿に「慶長17年棟札」あり。

慶長17年の1612年には遷宮祭が開かれ、赤飯や御酒が数千人に振る舞われました。

浅井了意 :『東海道名所記』の著者

浅井了意は江戸時代前期の仮名草子作家で『東海道名所記』を残したことで知られています。

先ほどの源頼朝で記載したように
”むかし、かまくらの右大将、伊豆・はこねを信じ。つねに二所参詣をいたし給へり。”
と『東海道名所記』で記載があります。

また『東海道名所記』には
”三所権現(箱根神社)ハ、むかし孝謙天皇の御世、天平宝字年中に。万巻上人はじめて、これを立らる。其後五百年余歳をへて。此やしろ焼けたりけるを。北条家平泰時時再興して、あがめまつれり。”
とあることから、浅井了意の『東海道名所記』は箱根神社の記載がある重要な文献だと言えます。

 

秋里籬島:『東海道名所図会』

江戸時代の寛政9年(1797年)出版の『東海道名所図会』においても箱根権現社が描かれています。

 

箱根神社へ

第一の鳥居

芦ノ湖の大鳥居

ここが第一の鳥居です。
箱根芦ノ湖の元箱根港近くにあります。

第二の鳥居

箱根神社 二の鳥居

ここが第二の鳥居。
この横に箱根神社の無料駐車場が複数あります。

第三の鳥居

これが第三の鳥居です。

箱根神社の境内入り口

ここから神社ならではの雰囲気へと変わってきます。
左側の石碑には「國幣小社箱根神社」と書かれています。

これは昭和3年の1928年に昭和天皇即位によって縣社(けんしゃ)から小社へと昇格したためです。
昔の神社には社格である官幣社・国幣社・府社(縣社)などがあり、縣社から國幣小社へ國幣小社したのです。

そして、この時(1928年)の初代宮司早山茂氏が『箱根神社大系』の編纂を始めました。
この社格は戦後の1946年に廃止されています。

第六天神社

第六天神社

箱根神社の摂末社で福徳円満・商売繁盛の神様です。
こちらでは於母陀流神(おもだるのかみ)を祀っています。

 

第六天神社

 

 

参道

箱根神社の参道

ここから手水舎まで朱色の燈籠が並びます。
令和元年の11月には台風19号の影響か燈籠が取り外されていました。
燈籠を見たい方は少し時間を空けられるといいでしょう。

 

箱根神社の杉

ここ箱根神社の杉は大きく太く立派な杉が多いです。
神社や寺院には不思議と太く立派な木が多いのですが、もしかすると戦前の研究に「イヤシロチ」というものがあったことと関係しているかもしれません。

なぜ神社や寺院の杉(木)は太いのか?

これは戦前の日本が中国に作った工場で不思議と不良品が発生するというものでした。
そこで人員や設備、マニュアルなどを変えてみても変化がなく、原因は「土地が悪い」ということでした。

ここで全国の約1万の土地を調査して、土地の特性を3つに分類しています。

  1. 優勢生育地帯(イヤシロチ):全体の約15%
  2. 劣性生育地帯(ケガレチ):全体の約30%
  3. 標準生育地帯:全体の約50%

 

このイヤシロチの特徴は

  • 居住者の病気やケガがなかった
  • 養鶏所は産卵率が高く、病気の鶏がいない。養豚場も同様の結果。

と、そこで生産される製品以外の生物にも影響があるとされています。
そして全国の土地の調査を行なった結果、神社や寺院にはこのイヤシロチに建立されていることが多いとあります。

一方、ケガレチの特徴は

  • 居住者に病気や怪我が多い
  • 豚舎などの生物にもが病気や怪我が多い
  • 新設される学校や工場など土地に多い
  • 製造された製品やそこで働く従業員にも影響がある
  • 道路補強などが頻繁にされる

とあり、生物および物質にも悪影響を与えているといえます。

つまり、神社や寺院の木が太く立派であることはただ樹齢に限らず、神社がこのイヤシロチにあることが関係しているのではないかと思います。
他にも箱根大雄山最乗寺には立派な杉並木があり、埼玉三峰神社、静岡伊豆山神社にも立派で太い木があります。

これはイヤシロチであるため樹木が太く育つのではないか?と。

さらにイヤシロチにあるため神社や寺院は「空気が良い」「浄化される」ように感じるのでは?とも思います。
これが神社や寺院がパワースポットと言われる1つの所以かと思います。

 

約15%のイヤシロチに神社や寺院が集まっていることは不思議でしょうがない。
昔の陰陽師などは何らかの方法でこの土地の善し悪しを知っていたのでしょう。

そして神社や寺院を最良の土地に建立した、その結果その場所の空気がキレイに感じたり、樹木が立派に育ち建立物も長持ちする。

これが理由かもしれないと思っています。

 

手水舎

箱根神社の手水舎

ここで参拝前の準備をします。
左手→右手→口をゆすぐ→左手→右手の順番で行ないましょう。

手水舎の作法

 

箱根神社の手水舎の明治天皇御造

ここに明治天皇御製の歌があります。
“わが國は神のすえなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ”
と書かれています。

明治天皇は明治6年の1873年に箱根神社へ皇后陛下とともに御参拝されています。
また明治25年には大正天皇が皇太子であった時に御参拝されています。

 

箱根神社の手水舎の明治天皇御造

また昭和天皇御製もあります。
“みたらしの水のあふれてすがすがし朝まうでする神のいがきに”
と書かれています。

昭和39年には昭和天皇が幣帛、神饌料を御奉納されたとあります。

 

矢立杉

箱根神社の矢立の杉

これが矢立杉です。
写真ではわかりにくいですが、大きく立派な杉です。
囲われていることから他の杉とは特別な意味があることがわかります。

 

箱根神社の矢立の杉

本当に大きな杉です。

 

箱根神社の矢立の杉の解説

ここには
“平安時代に征夷大将軍であった坂上田村麻呂が蝦夷平定に、また陸奥守源頼義が安倍氏追討に際してこのスギに表矢を献納したと伝えられている。幹はまっすぐに高く伸びて樹勢も旺盛である。”

樹齢が伝承で約1,200年というスゴイ木です。

 

第四の鳥居

箱根神社の第四の鳥居

ここが第四の鳥居です。
階段の上の奥に見える鳥居が第五の鳥居、本殿がある場所です。
階段は70段くらいかと思います。

 

参道石段の杉

ここは神社の雰囲気が強く感じます。
明治時代の箱根神社の写真が残っているようで拝見したのですが、その時と杉並木が変わっていません。

 

参道石段の杉

ここも杉が大きいです。

 

兄弟杉

箱根神社の兄弟杉

階段を登ると左側に兄弟杉があります。

 

箱根神社の兄弟杉の解説

この立て札には
”大きい方を十郎杉、小さい方を五郎杉という。筥王(五郎時)は十七歳まで当所権現の稚児として奉仕中、亡父の仇討ちを果たしたい一心で境内の杉立てを師匠として修練、剣の道を自得したという神木の1つ。かつては武運めでたい「剣難除け杉守」として信仰されてきたが消滅し、今は根株に名残を留めている。仇敵工藤左衛門尉祐経が参拝の折、五郎に与えた赤木柄の短刀は、国指定重要文化財として当社に現像する。右の社は曽我神社である。”
と書いてあります。

 

曽我神社

箱根神社の曽我神社

日本に伝わる三大仇討ちで有名な「曽我兄弟の仇討ち」で知られている曽我兄弟(曽我十郎祐成命・五郎時対致命)を祀っています。
曽我兄弟の話は『吾妻鏡』『曽我物語』に記載されています。

5月28日には例祭が開かれ、傘焼の神事が行なわれます。

 

箱根神社の曽我神社の解説

曽我神社の由来が書かれています。

 

箱根神社の曽我兄弟八百年の碑

曽我神社造営の碑です。

 

箱根神社の曽我兄弟八百年の碑

曽我神社は心願成就や勝負運に御利益があるようです。

 

本殿

箱根神社の本堂

ここが箱根の本殿です。
この日は台風の影響か一部が修復されています。

歴史を見ると箱根神社は1923年の関東大震災や1930年の豆相地震で大きな被災をしています。
しかし、1933年には再建のための地鎮祭が行なわれ、1936年に復興を果たしています。

 

箱根神社

ここは背の高い杉に囲まれています。
ここはそれほど広くはないですね。

 

箱根神社の本堂の金具

以前に神奈川県の江の島にある江島神社でも見たのですが、このように飾りがされています。

この高欄の一番上の赤い木が架木(ほこぎ)、上から2番目が平桁(ひらけた)、上から3番目が地覆(じふく)、4番目が縁葛(えんかつら)かと思います。
1番上の金色の飾りが架木々口飾(ほこぎこぐちかざり)、2番目が平桁木口飾(ひらけたこぐちかざり)、右奥の階段が階木口飾(きざはしこぐちかざり)だと思います。

ただ地覆飾や縁葛飾という言葉が出てこないので確かとも言えません。

 

箱根神社の本堂の金具

この金色の飾りは隅木飾かと思います。
この画像は正面から見た画像ではなく、横から見た画像のため破風尻飾(はふじりかざり)では無いと思います。

また金の鐘には三つ葉のような形が見られます。
この形には何か意味があるのかもしれません。

 

箱根神社の本堂の金具

こちらは先ほどの画像と同じ模様です。
イチョウか何かかと思います。

 

九頭龍神社新宮

箱根神社の九頭竜神社の手水舎

龍神水舎:龍神水という水が九つの龍の口から出ています。

 

箱根神社の九頭竜神社の成就水盤

誓願符として流して納める成就水盤もあります。

 

箱根神社の九頭竜神社

ここが九頭竜神社新宮であり、芦ノ湖の畔にある九頭竜神社本宮の里宮です。
九頭竜神社本宮は縁結びの神として多くの女性が訪れています。

九頭竜神社本宮は芦ノ湖の畔にあり、この箱根神社からは離れています。
九頭竜神社本宮の例祭日は6月13日、九頭竜神社新宮の例祭日は4月29日です。

 

安産杉の由来

箱根神社の安産杉

これが安産杉です。
囲いがされていることから特別な杉だと分かります。

 

箱根神社の安産杉の由来

この案内板によると邇邇芸命が木花咲耶姫命と結婚して彦火火出見尊が誕生したという神話に由来したとあります。
矢立ての杉と同じく「霊妙杉」とされているようです。

確かに源頼朝は箱根神社を崇拝し、北条政子の出産祈願に鎌倉の若宮大路(駅前の大きな通り)と段葛の建設や1182年には箱根神社への奉幣(奉幣遣の派遣)を行なっています。
安産の杉として仰がれる理由があるのだろうと思います。

 

石碑

儀式殿立の碑

儀式殿建立の碑です。

 

恵比寿社

箱根神社の恵比寿社

箱根七福神の1つであり、事代主神を祀っています。
商売繁盛の神様です。

 

宝物殿

箱根神社の宝物殿

ここが箱根神社の宝物殿で、歴史に興味がある方は合わせて立ち寄られるとおすすめです。
ここでは箱根神社の歴史や絵巻などが展示されています。

 

例えば、当時の棟札や『金槐和歌集』『吾妻鏡』『御成敗式目』の版本、皇朝12銭、関東最古の一木造りである万巻上人坐像などが展示されています。

棟札とは、建物の建設や修理の際に修理に当たった大工名や施行年月日、建物の由来などを書いた板のことです。
この棟札を棟木や小屋束に打ち付けて保存していました。

宝物殿では北条氏綱や徳川家康の棟札が展示されていました。

 

箱根神社宝物殿入場券

入場券は大人500円です。
宝物殿の窓口で購入できます。

 

けけら木の解説

けけら木の解説

この鎌倉三代右大将の源実朝の歌は『金槐和歌集(鎌倉右大臣家集)』にあります。
「けけれあれや」は東では「心」の意味だったんですね。

他にも鎌倉三代右大将の源実朝は箱根に関する歌を多く残しています。
伊豆の日金山にも源実朝の歌碑があります。

 

神輿庫

箱根神社の神輿庫

神輿庫です。

 

平和の鳥居(湖上の大鳥居)

そしてこれが芦ノ湖の平和の鳥居です。

芦ノ湖と箱根神社と富士山

これは平和の鳥居を成川美術館付近の芦ノ湖の「芦ノ湖の逆さ富士」から撮影した画像です。
このように芦ノ湖側から撮影すると富士山を背景に撮影できるのでおすすめです。

この大鳥居は1953年に明仁上皇の立太子札として奉祝されたものです。
また「平和の鳥居」の由来は吉田茂元総理が「平和」と書いた額を掲げたことが由来になっています。

 

2019年現在はインバウンドの関係で平和の鳥居には外国人観光客が多いです。
そのためここで写真を撮影するには数十分程並ぶ必要があります。

まだSNSやインスタグラムが登場する前は混雑していませんでしたが、最近の混雑ぶりは異常です。

 

舟庫

箱根神社の舟庫

これが舟庫です。

 

箱根神社の九頭龍神社と湖水祭の起源

湖水祭の起源と九頭龍の伝説です。
日本には龍に関する伝説や民話が多く、江の島にも五頭龍の伝説があるほか、源頼朝が崇拝した伊豆山神社(走湯権現)にも龍の伝説があります。

この湖水祭の起源と九頭龍の伝説では芦ノ湖に龍が住んでいたとあります。
伊豆山神社(走湯権現)にも龍の口が走湯、頭が伊豆山神社、尻尾が芦ノ湖にあるという話を聞いたことがあります。

源頼朝が参詣した「二所詣」の箱根神社と伊豆山神社は、伝説の話であってもこの「二所」に共通点があることが面白いです。

 

 

駐車場のアクセス

箱根神社の駐車場

駐車場はこの第二駐車場から歩くと神社への参拝の雰囲気が味わえて良いですよ。
ただ第一駐車場のほうが第四の鳥居の目の前なのでアクセスとしては便利です。