穴の空いた柄杓で溢れる伊東の音無神社。安産祈願で有名でかつては源頼朝と八重姫の伝説があります。
伊豆の伊東にある音無神社。
当時流人であった源頼朝と伊東祐親の三女である八重姫がここで逢瀬を重ねていました。そして、男の子を授かりましたが、伊東祐親が流人の頼朝の子供を産んだことに激怒し、殺めたと言います。
その子供(千鶴丸)が流れ着いたのは「宇奈根展望台」の付近で、その服を乾かした場所が「産衣石」だと言われています。
*当時流人とは流罪という刑罰を下された人のことです。
ここは源頼朝と八重姫が逢瀬を重ねた場所で、頼朝は日中はひぐらしの森にいたようです。
尻つみ祭りは真っ暗にして行われる祭りのようですね。
底抜け柄杓の由来があります。柄杓でお腹を撫でると安産をもたらすと言われ、無事安産であると新たに「底抜けの柄杓」をお礼に奉納されたとあります。
それでこれだけ多くの柄杓があるようです。
境内には夫婦樹
日本の神社には2本の樹が絡み合うようにそびえ立つ姿が見られますが、ここ音無神社でも非常に立派な木々が見られます。
穴の空いた柄杓が一杯。「とよたまひめのみこと」が祀られる安産の神様
ここ音無神社では底の向けた柄杓が沢山あります。
これは昔から出産祈願のために、この穴の底の空いた柄杓を拝借し、出産後にはこの柄杓をお返しし、安産のお礼として新しい底に穴の空いた柄杓を納めるという風習があります。
その他、ゆかりの地
日暮八幡神社
頼朝が日暮れまでいた
松川にかかる岡橋
頼朝と八重姫
産衣石
伊豆富戸にある亡くなった千鶴丸の遺体と着物を乾かした石です。
⇒ 産衣石