鎌倉幕府の若宮大路幕府跡地へと向かいます。
若宮大路幕府は鎌倉幕府の3つ目の御所になります。
関連:鎌倉幕府の場所と史跡を巡る『大蔵幕府⇒宇都津宮辻子⇒若宮大路幕府』編
若宮大路幕府跡地
ここは宇都宮辻子幕府の後に移された若宮大路幕府跡地です。
近くにある旧政所跡地の向かい側から路地に入って先の小道にあります。
これが若宮大路幕府の石碑です。
この石碑にも「若宮大路幕府舊蹟」とあります。
石碑の文字をここに書いていくと
”鎌倉ノ幕府ハ始メ大藏二在リシカ嘉禄元年政子ノ薨ズルト共二将軍藤原頼経之ヲ宇津宮辻二遷シ後十一年ニシテ嘉禎二年再ビ此ノ地二遷ス爾來九十八年頼経以後六代ノ将軍相繼ギテ政ヲ此二聽キケリ元弘三年新田義貞ノ鎌倉二亂入スルニ及ヒテ廢絶セリ”
とあります。
これを現代語に訳すと
”鎌倉の幕府は最初は大蔵幕府にありましたが、嘉禄元年に北条政子が亡くなると将軍藤原頼経が幕府を宇津宮辻に遷しました。それから11年後に再びこの地に幕府を遷します。それから98年の間、藤原頼経から6代の将軍がここで相継いで政治を行いました。元弘3年新田義貞の鎌倉攻めの際に廃絶されました。”
となります。
若宮大路幕府は鶴岡八幡宮に近い場所にあり、旧政所にも約100m程の距離にあります。
・アクセス:若宮大路幕府舊蹟碑
若宮大路幕府と『吾妻鏡』
若宮大路幕府について『吾妻鏡』の中に記載があります。
嘉禎二年三月小廿日。可被新造幕府并御持佛堂等若宮大路東頬事今日於御所有其定。『吾妻鏡』
とあり、1236年の嘉禎2年に幕府を若宮大路の東側に遷すことを決めています。
この時の幕府は宇津宮辻幕府でここから200m程の距離に跡地舊蹟があります。
また
嘉禎二年六月大六日。若宮大路新御所築地始之。『吾妻鏡』
と同年の6月には幕府の工事が始まっています。
次に
嘉禎二年八月大三日丁亥…於新御所。被行鎭御祈。『吾妻鏡』
とあり、1236年8月に幕府の新設について神様を鎮めるためのお祈りをしています。
この後若宮大路へ引越しが行なわれます。