鎌倉幕府の場所と史跡を巡る『大蔵幕府⇒宇都津宮辻子⇒若宮大路幕府』編

 

鎌倉幕府は1192年や1180年に開かれましたが、その場所は大蔵幕府⇒宇津宮辻子⇒若宮大路と遷っていきました。

 

鎌倉幕府の場所の地図

簡単にマップにしてみました。(問注所は鎌倉駅西部のため省略)
今回は鎌倉時代の幕府を跡地を巡ってみます。

 

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大蔵幕府(1180年~1219年)

大蔵幕府跡地

大蔵幕府は源頼朝が開いた鎌倉時代の最初の幕府です。
現在は鶴岡八幡宮の東側の清泉小学校の前にその跡地の石碑があります。

この大蔵幕府は次の宇津宮辻子幕府へ遷すか否かの議論の際に少し揉めた場所です。
『吾妻鏡』には金浄法師が「大蔵幕府の土地は四神最上の土地であるため引っ越す必要はない。西方の土地を広げた方が良い」と記録があります。

つまり、鎌倉幕府を最初に開いたこの地は適当に置かれた地ではなく、京都の平安京のように四神の計算がされて造られています。

 

東御門旧跡碑

東御門跡地の石碑

ここは大蔵幕府の東御門があった跡地です。
大蔵幕府跡地舊蹟からは5~10分程歩きます。

西御門旧跡碑

西御門跡地

こちらは大蔵幕府の西御門跡地です。
大蔵幕府跡地舊蹟からは5~10分程歩きます。

 

政所

鎌倉幕府政所跡地

これが政所で鶴岡八幡宮と大蔵幕府の間にあります。
場所では若宮大路幕府跡地から200m程です。

 

政所跡地

現在は石碑もなく目立たないため通りすぎてしまうでしょう。

 

問注所は源頼家によって正治元年に現在の問注所跡地へ移設される

鎌倉の問注所の場所

鎌倉幕府は裁判や訴訟を扱う「問注所」を当初は大蔵幕府の東西の廂(ひさし)に設置しました。
しかし、鎌倉幕府2代将軍の源頼家が喧噪を嫌がったため、善信の家を仮の問注所として新たにここに問注所を新設しました。

 

鎌倉の問注所の石碑

ここが源頼家が設置した問注所があった跡地です。
ここへは中世三大日記で知られる『十六夜日記』の作者である阿仏尼も京から訴訟のために訪れています。

 

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宇津宮辻子幕府(1225年~1236年)

宇津宮辻子幕府跡の石碑

宇津宮辻子幕府は大蔵幕府の後に遷された場所で、ここは若宮大路からも200m程しか離れていません。

1225年に宇津宮辻子幕府へと引越しをしますが、その際には大蔵幕府で説明したように議論が起こりました。
『吾妻鏡』には金浄法師が「四神最上の土地から引っ越す必要はなく、現在の大蔵幕府の西方を広げれば良い」とあり、さらにその後に相談した陰陽師の1人によると「大蔵幕府は先祖(源頼朝)が子孫を見下ろす墓があると子孫は絶えてしまう」「源頼朝の墓はまさにそのようになっている」「頼朝の子孫はみな絶えている」と符合することを言われ、「若宮大路は四神にとっても良い土地」とその陰陽師が言ったことからその意見が採用されました。

この幕府は11年間この地で開かれた後、若宮大路幕府へと遷ります。

 

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若宮大路幕府(1236年~1333年)

若宮大路幕府跡地

若宮大路幕府は鎌倉時代最後の幕府です。
現在は政所が有った場所からも100m程の距離にあり、先の宇津宮辻幕府や若宮大路、鶴岡八幡宮からも大変近い場所にあります。

 

この若宮大路幕府は元弘3年の1333年新田義貞の鎌倉攻めのまで続きます。

 

現在はひっそりと舊蹟が残っています。
この周辺は大変静かな住宅地で人も疎らです。