いざ、鎌倉。鶴岡八幡宮へ行ってみる

当サイトでは広告プログラムを利用しております。
当サイトでは広告プログラムを利用しております。

鶴岡八幡宮の一の鳥居

鶴岡八幡宮へ行ってきました。

 

スポンサーリンク

実際に鶴岡八幡宮を見学

江戸時代の寛政9年(1797年)出版の『東海道名所図会』でこの鶴岡八幡宮が描かれています。江戸時代の人にとってもよく知られていたのでしょう。

三の鳥居

鶴岡八幡宮の三の鳥居

ここが三の鳥居。由比ヶ浜から続く鳥居の3つ目。
1つ目はNTT東日本ビル付近、2つ目は駅近くにあり、段葛を歩くとこの三の鳥居が見えます。
1つ目の鳥居付近にもかつて段葛のような道があったものの、消失したそうです。

 

太鼓橋

鶴岡八幡宮の太鼓橋

入り口に入ると太鼓橋があります。

参道

鶴岡八幡宮の参道

露店も出ていました。参道は長いです。

灯籠

鶴岡八幡宮の灯籠

こちらが灯籠です。

手水舎

鶴岡八幡宮の手水社

一時的に撤去されていました。

舞殿

鶴岡八幡宮の舞殿

舞殿です。下拝殿とも言います。義経を慕っていた静御前が舞った場所の跡地です。

鶴岡八幡宮の装飾

装飾が綺麗です。

鶴岡八幡宮の装飾 鶴岡八幡宮の装飾 鶴岡八幡宮の装飾

 

大石段

鶴岡八幡宮

本宮前の大石段です。

大銀杏

鶴岡八幡宮の大銀杏

隣にある木は御神木です。2010年くらいに倒れてしまいました。

本宮

鶴岡八幡宮の装飾

応神天皇・比売神・神功皇后を祀っています。

 

鶴岡八幡宮の装飾

建物が綺麗です。

鶴岡八幡宮の装飾 鶴岡八幡宮の装飾 鶴岡八幡宮の装飾 鶴岡八幡宮の装飾

 

丸山稲荷社

鶴岡八幡宮の丸山稲荷

こちらも重要文化財の1つ。

1191年の本殿の鎮座前からこの地にあった神社とあります。

 

若宮

若宮です。仁徳天皇や履中天皇・仲媛命・磐之媛命を祀っているとのこと。

 

白旗神社

鶴岡八幡宮の白旗神社

こちらは白旗神社です。

源頼朝、実朝が祀られています。

 

文学での記載

鶴岡八幡宮は

  • 吾妻鏡
  • 平家物語
  • 義経記
  • 海道記
  • 東関紀行
  • 金槐和歌集

などで記載があります。私の記憶では『海道記』か『東関紀行』で鎌倉の大仏建立の話を鎌倉の庶民が話していた場面が記載されていたと思います。

旗上弁財天社

鶴岡八幡宮の旗上弁財天

源氏池の中の島にあり、小さな橋を渡ります。

こちらが説明です。

 

鶴亀石

鶴岡八幡宮の鶴亀石

大変めでたい石だそうです。

鶴岡八幡宮の鶴亀石

“相模國風土記稿に水を持って石面を洗う時は鶴亀の紋様が輝きあらわれると記され大変めでたい石である”

と書かれています。
日本各地にはこういったお話が多く残っていますが、石の伝説や逸話が多いですね。

 

第二の鳥居

鶴岡八幡宮の第二の鳥居

第二の鳥居は若宮大路の通りの真ん中にあります。
この鳥居から鶴岡八幡宮へと続く道は「段葛」と呼ばれています。

 

若宮大路

この第二の鳥居付近は春になると満開の桜で一本道ができます。

若宮大路

鶴岡八幡宮までずっとこの満開の桜の中を歩いて行きます。

 

スポンサーリンク

鶴岡八幡宮の歴史

1191年(建久2年)の火災と再建

建久二年三月小四日壬子。陰。南風烈。….餘炎如飛而移于鶴岡馬塲本之塔婆。此間幕府同災。則亦若宮神殿廻廊經所等悉以化灰燼。引用:『吾妻鏡』

とあり、南風の激しい夜に鶴岡八幡宮の五重塔や幕府、神殿も燃えしまいました。

この時に源頼朝は大変気を落としたとあります。そして3月8日には再建が始まります。

 

スポンサーリンク

鶴岡八幡宮と縁の人々

源頼朝

源頼朝の歴史として鶴岡八幡宮は

文治三年正月大一日癸夘。二品御參鶴岡宮。其儀如例。引用:『吾妻鏡』

とあり、源頼朝が1187年に鶴岡八幡宮を参拝していたことがわかります。頼朝は八幡宮の東に最初の幕府である「大倉幕府」を開いています。

 

また1191年に火事が有った際には

建久二年三月小六日甲寅。若宮火災事。幕下殊歎息給。引用:『吾妻鏡』

と源頼朝が肩を落としていた記載があります。

 

源頼朝は「二所詣で」の際には

文治四年正月大十六日壬子。二品御參鶴岳宮。還御之後。被始二所御精進。
引用:『吾妻鏡』

とあり、鶴岡八幡宮に参拝し、由比ヶ浜で御精進(海水に浸かって体を清めること)を行い、箱根権現(箱根神社)や走湯権現(伊豆山神社)、三島大社に参詣していました。

 

北条政子

文治三年五月小五日丙午。鶴岡神事也。御臺所御參云々。引用:『吾妻鏡』

文治四年正月大廿六日壬戌。早旦。御臺所并若公御參鶴岳宮。有御神樂。其後若公爲御迎。參固瀬河邊給。自二所依可有還御也。酉剋令歸着給。引用:『吾妻鏡』

とあり、文治四年(1188年)に北条政子と若君の万寿(源頼家)はこの鶴岡八幡宮へ参拝していたことがわかります。