伊豆稲取駅前の江戸城築城石ふるさと広場。
ここは城郭に用いるために切り落とされた約3トンの築城石が置かれています。
江戸時代に徳川家康が江戸城を改築する際に、徳川幕府が西国大名に命じ、東伊豆から船で運搬。
『徳川実紀』によれば、江戸城は太田道灌が1457年に築城したとありますが、その徳川家康や二代将軍秀忠、3代将軍家光の時代にも江戸城の改修がされています。
江戸城の築城石を見るとまだ刻印がされているものがあります。
築城石には「角脇石」「間地石」「野面石」「角石」があり、角石は角に利用されています。
門に使われる角石は伊豆の安山岩で、石垣表面には採石者の刻印が見られます。
この刻印には様々な種類があります。
江戸城大手門の角石に使われています。
東伊豆は築城石の産地であり、数十年に渡って採掘されていました。
山に行くと石丁場跡や築城石が点在して残っています。
“慶長拾壱年弐月 徳川家康諸候に課して多いに江戸城を修築す其ノ所要の石材多く伊豆之国より出づ伊豆石の名是より著る 『南豆風土記』”
とあります。
この修羅曳きという方法で運んでいたようです。
確かに伊豆は山林から海までの距離が近いです。
これは重そう。笑
石を運ぶために船を停泊させる場所を作り、また船までも道を作ったようです。
ちなみに徳川幕府と伊豆は関係が深く、徳川家康は「お汲み湯」として熱海の温泉を江戸まで運ばせる大の温泉好きでした。
関ヶ原の戦いの前には熱海に立ち寄ったと言われ、徳川幕府を気付いてからも熱海や草津、箱根木賀温泉などのお湯を江戸まで運ばせていました。
矢割り
石丁場跡に残っている石には「矢穴」が残されており、これは「矢割り」という採石方法が取られたとあります。
小さい穴を一直線に掘って、そこに樫の木をくさびとして入れる。
水を入れてコモをかけて一夜置くとくさびが水を吸い込んで膨張して石が割れるそうです。
江戸時代の人はすごい技術を知っていましたね。
築城石を切り出した西国大名
- 平岡重勝(徳野藩)
- 徳川義直(尾張藩)
- 前田利常(金沢藩)
- 松平定行(桑名藩)
- 桑山一玄(大和・新庄藩)
- 九鬼久隆(三田藩)
- 徳川頼宣(紀伊藩)
- 稲葉紀通(福知山藩)
- 戸川正安(庭瀬藩)
- 山内忠義(土佐藩)
- 山崎家治(成羽藩)
- 福島正則(安芸広島藩)
- 細川忠利(小倉藩)
- 有馬直純(延岡藩)
- 立花種長(三池藩)
- 立花宗茂(柳川藩)
「三つ団子紋」
お団子が三つ並んでいるように見える紋様です。
「二つ雁紋」
丸の中に二頭の雁が飛んでいるように見えます。
雁は独特の鳴き声をしており、「良い知らせを運ぶ縁起のよい鳥」とされていますが、現在は保護鳥に指定されています。
「結三輪違紋」
三つの輪っかがそれぞれくっ付いて結ばれているように見える紋様です。
「釘抜紋」
漢字の「回」にそっくりな紋様です。
伊豆で見られる築城石
ぼなき石
中でも面白いのは、稲取から北にある東伊豆の伊豆大川「ぼなき石」があります。
これは江戸城改築の際に採石したのですが、石が大きく海まで運べずにそのままにしてしまった石です。
村人はこの石を運べないことをぼやいていたことから「ぼやき石(ぼなき石)」と呼んだそうです。
東伊豆以外にも、石丁場は他にも「真鶴番場」「西伊豆黄金崎」にも存在します。
宇佐見の刻印石
伊東市宇佐美にも刻印石があります。
・参考:江戸城築城石石丁場之覚