ここ熱海の温泉は、すでに江戸時代には徳川家康から気に入られていました。
あつうみのお汲み湯
その昔、熱海は海底から熱い温泉が湧き出しており、魚も住めないような熱い海だった。
そのことから熱海は「あつうみ」といった。
仁賢天皇の頃に海からの温泉の沸出が止まり、天智天皇の時代に陸から湧き出るようになった。
この頃の熱海は箱根の山に囲まれて交通が不便であり、さびれた農村で、湯治に来る人もなく、さびしいところだった。
江戸時代になると湯治客も増えて栄えていった。
将軍家光は熱海に出向けず、温泉を運ばせることにした。
これを「お汲み湯」という。
熱海には27戸の湯主がおり、湯主たちは帯刀といって刀をさすことを許されていた。
この湯主たちは年間数回、将軍から江戸に温泉を届ける御用があった。
檜の桶に温泉を注ぐと、力のある男たちが桶を背負い、行列となり箱根の山々を超え、宿場から宿場へと向かっていった。
温泉を地面に置くことは許されず、慎重に人手を交代しながら運んでいった。
行列の先には日の丸の旗を立てていく様子から、
”熱海はよいとこ 日の丸たてて 御本丸へと お湯が行く”
とはやしながら、見送っていた。
熱海の温泉は「徳川家康」に献上されるほどの名湯
徳川家康は温泉が好きであったようで、慶長2年(1597年)には5日間滞在、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いへ向かう際に熱海で数泊したと記録があります。
また慶長9年にも訪れた記録があり、家康は熱海の温泉が気に入っていました。
家康は温泉好きであり、ここ熱海の他にも草津・箱根木賀からも汲み湯を取り寄せた記録があります。
『熱海市史』では家康は慶長九年に立花宗花の病気治療のためにお汲み湯を取り寄せたことが始まりのようで、このお汲み湯伝説の家光誕生の時(慶長九年)と重なります。
これ以来多くの大名が熱海を訪れるようになったとのことです。
熱海七湯巡り
熱海では七湯巡りをすることができます。
熱海銀座には源泉の7湯があり、街中に点在しており巡り歩く楽しみもあります。
⇒ 「熱海温泉七湯巡り」をすると、熱海の歴史ある源泉と温泉街としての情緒を探ることができます。
近くには伊豆の走り湯
また近くには伊豆山温泉の走り湯があり、ここ走り湯は日本でも珍しい横穴式源泉です。
伊豆山温泉は有馬や道後などに並び日本三大古泉として有名で、700年代に開かれたという話があります。
江戸時代の浅井了意による著作『東海道名所記』にも
”伊豆の山ハ。走湯山共いふ。こゝにまします御神をば、走湯権現と申奉る。
….此所に出湯あり。石ばしるたきのごとくなれば。走湯とハ申すとかや。”
とあるように、走り湯の存在は江戸時代から知られていたことがわかります。(走湯権現は伊豆山神社)