【行ってみた】「ゆうひの丘」は聖蹟桜ヶ丘の絶景公園。夜景も素晴らしい眺めです。

夕日の丘 聖蹟桜ヶ丘

東京都多摩市の絶景・夜景の楽しめるゆうひの丘です。
夜景なら東京多摩地域でトップクラスのスケールを誇っている場所です。

 

私が高校3年生の頃に当時好きだった高校1年生の女の子に夜景を見ながら告白した思い出がある東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘にある夕日の丘でもあります。

聖蹟桜ヶ丘の「夕日の丘」ってどんなとこ?

夕日の丘 聖蹟桜ヶ丘

聖蹟桜ヶ丘の夕日の丘は北西向きの高台にある公園。
眺めの良さでは東京都多摩地域でもトップクラス。

かつてテレビドラマやCMでも利用されていました。
例えば、

  • 14才の母
  • H2 ~君といた日々
  • マイボスマイヒーロー
  • ダメンズウォーカー
  • オーマイガール
  • 過保護のかほこ

など。

夕日の丘のベンチ

このように複数のベンチが置かれており、座りながら景色を眺めることができます。
晩秋や冬は夜景が綺麗なことでも有名です。

 

夕日の丘の案内板夕日の丘は都立桜ヶ丘公園の一角。
ただ眺めが良いのはこの公園です。

 

夕日の丘の犬用の水

ワンちゃん用の水道もあります。
ここは犬の散歩をするかたも結構多いです。

夕日の丘の水道

水道があるので手を洗うこともできます。

夕日の丘の眺め

夕日の丘の眺め

次は夕日の丘の眺めで、まずは北向き。
目の前の道路は川崎街道。

夕日の丘の眺め

次は北西方面。
多摩川と聖蹟桜ヶ丘の市街地が見えます。

夕日の丘の眺め

次は西方面。
聖蹟桜ヶ丘のタワーマンションと奥には関東山地がみられます。

夕日の丘の眺め:府中市街

北方向には府中市の高層マンション。

夕日の丘の眺め:国分寺市街

北北西方面には国分寺と奥には栃木県の日光や足尾の山々。

夕日の丘の眺め:西武ドーム

北西方面は遠くに西武ドームと見られる白い屋根。

夕日の丘の眺め:聖蹟桜ヶ丘の関戸橋

北西方面の手前には多摩川にかかる関戸橋。
この橋は2020年は架け替え工事中。

ちなみにこの聖蹟桜ヶ丘の多摩川と関戸橋は『耳をすませば』のオープニングで出てきます。
聖蹟桜ヶ丘は耳をすませばのモデルになったとのことで、あくまでモデルでしょうが。

夕日の丘の眺め:聖蹟桜ヶ丘の市街地

北西には聖蹟桜ヶ丘のタワーマンション。
右側は建設中のタワーマンション。

夕日の丘の眺め:奥多摩方面

奥に見える山は関東山地で雲取山など奥多摩方面。
2,000m級の山々です。

夕日の丘の階段

今度は階段を降ってみてみます。

夕日の丘の眺め

こちらは芝生があり寝っ転がることもできます。

夕日の丘の眺め

眺めは1番上が良さそうです。

夕日の丘の眺め

一本だけ木があります。
右には桜の木もあり、春は気持ちよさそう。

夕日の丘の階段

素晴らしい眺望の夕日の丘。

 

夕日の丘の夜景

夕日の丘の夜景

夕日の丘の夜景です。
ここは東京西部の夜景が一望できるため非常に人気のある場所。

夕日の丘の夜景

2008年頃は光量もあり大変綺麗な景色でしたが、東日本大震災によって節電が叫ばれてからやや夜景も以前より落ち着いてしまったような気がします。

夕日の丘の夜景

ここの眺めは東京でもトップクラスです。
東京都心の賑やかで煌びやかな夜景とは異なり、夕日の丘の夜景は住宅街の柔らかい灯りに溢れています。

各家庭にそれぞれの違いがあるように夜景の色もオレンジや白、薄い黄色などそれぞれの家庭の色を反映するような気がします。
同じ夜景であっても都心の高層ビルと住宅街の夜景が異なって見えるのは面白いことです。

 

夕日の丘へのアクセス

アクセス:Google map

夕日の丘は自動車なら無料駐車場があります。
ただ遅い夜間は閉鎖されるようなので夜景になると注意が必要。

徒歩の場合は聖蹟桜ヶ丘からになりますが、結構な距離を歩くことになります。

夕日の丘へのアクセス無料駐車場から歩くと50段ほどの階段を登った後、このような車道の脇を歩いていきます。
若い人やある程度体力があれば問題はないです。

余談:夕日の丘は『耳をすませば』の秘密の場所?

ではないと思います。
ただ作者がどの場所を参考にしたのかは作者しかわからないため何ともいえませんが。

確かに夕日の丘は眺めは良いですが、北西向きなので朝日が見えません。
『耳をすませば』のシーンでは北東向きに川と朝日が昇りますから、少し違和感があります。

むしろ聖蹟桜ヶ丘に以前あったこの場所のほうが映画に出てきた秘密の場所に近いのではないかと思います。

耳をすませばの秘密の場所

2021年は別の建物になりましたが、2010年頃はこのように映画のシーンにそっくりの場所です。
(コンクリートや青い金網、段差の具合が似ている)

耳をすませばの自転車を二人乗りした坂道

またこの近くには最後の二人乗りのシーンで出てきた長い坂道らしき場所もあります。

なので最後の秘密の場所のモデルは夕日の丘ではなく聖蹟桜ヶ丘の大栗川周辺だったのでは?と思います。

関連:「耳をすませば」の舞台となった聖蹟桜ヶ丘巡りとタイトルの理由の考察と感想

 

【合わせて行きたい絶景の場所】

聖蹟桜ヶ丘の夕日の丘のそばの絶景の場所です。
合わせていかれるといいですよ。

 

 

当時の恋愛のこと

このページだけは私が高校3年生当時の恋愛について残しておきたい。

1日目:夜景を見てから夜の多摩川で会話

東京に住んでいる高校1年生の女の子だった。
その娘はロマンチックな女の子だったから夜景デートに連れていくことになった。

夕暮れ時、その子と待ち合わせした。
だが、彼女は駅の北口の改札をよく使うからか、南口で待ち合わせしたはずなのに北口で降りたとメールがあった。

慌てて北口まで行くと改札の前に立っている。
彼女の顔は優しい表情をした美人、髪がサラサラな女性だった。

初めて会った時は「以前にどこかで会った?」ような印象を受けた。(実際に同じ時期に同じ塾に通っていたから前に会っていたかもしれない)
育ちが良さそうな東京のお嬢さんでもちろん美人だったが、なぜか「ドキドキ」するような緊張もなく、前から知っていたかのような不思議な感覚だったことを覚えている。

彼女は東京のお嬢さんだから自転車の二人乗りもしたことがないとのこと。笑
これには公立育ちの自分はビックリした。

 

夕ご飯を食べるためにジョナサンに向かった。

その子と近くにある夜景の穴場に連れて行くことにした。
私が中学生の頃に見つけた夜景の穴場の場所で、そこなら絶対に喜んでくれると思った。

 

ジョナサンに入って自分はイスに座り、彼女を壁側に座らせた。
食事をすると、緊張しているのか少しうつむきながら可愛らしく食事をしていた彼女の印象が残る。

たぶん彼女は人見知りだったのだと思う。
それでもドリアかグラタンを完食していたから、緊張感は解けたかなと思った。

ただ見た目も美人で可愛いのに何故か「ドキドキ」と鼓動が高鳴るような緊張もしなかった。
あの時のことは今でも不思議な感覚として残っている。

 

多摩の夜景が見える場所へ

夜景

ご飯を食べたので夜景を見に行く時間。
夜景の見える階段の入り口に向かった。

夜の暗い足元の中、200段を超える階段が待ち構えている。
事前に動きやすい格好で来るようにと彼女には言っておいた。

途中で彼女のカバンを持ってあげたりして、お互い高校生だからなんとか登り切った。笑

東京よみうりランドの巨人の道の夜景

頂上まで登った。
もう振り返ると夜景が一望できる。

 

だが、まだ彼女には振り返ってもらわなかった。
夜景が一番綺麗に見えるポイントまで連れて行きたかったから。

よみうりランドの巨人の坂

私が「ちょっとだけ目をつぶって」と言い、10mほど彼女の手をゆっくりと引いて絶景の夜景が見える場所(この画像の右側の柵の奥)まで案内した。
彼女も目を瞑りながらペンギンのようにペタペタとゆっくりと歩いて着いてきてくれた。

 

私が「もう目を開けて良いよ」と言う。
彼女は「えっ!綺麗!」と目を輝かせながら驚いたようだった。

「こんなに驚くんだ(笑)」とこちらが驚いたが、そんな姿を見れて素直に嬉しかった。
自分にとっては普段から見ていた何気ない夜景だったから。

ここには2007年当時ベンチが置いてあった。(2021年の今は撤去されている)
野外のベンチは汚いから自分のハンカチを引いて座らせてあげた。

自分と違って東京のお嬢さんだったから洋服を汚すのは良くないと思ったから。
自分の服は…汚れてもいいや。笑

 

そのまま一緒にベンチに座って目の前に広がる雄大な夜景をボーッと眺める。
夜景を見る彼女の横顔はパッチリとした二重の目ではないけど、目の奥が夜景のように輝いていた。

「本当に好きなものを見ているんだな〜」「ロマンチックな子だな〜」と隣にいた私は強く感じた。

 

夜だからゴンドラの架線は気にならない。
私が「あのオレンジ色の街灯が中央高速で..」と不要なこと教えてあげた。笑

それでも彼女はニコニコしながら夜景を見ながら聞いてくれた。

夜景

次に東京側のよみうりランドの夜景も見せてあげた。
2021年現在はこのタワーの足元には入れないが、2007年当時は入れたため東京タワーや都心の夜景も見れることを案内した。

東京の夜景

2007年当時は今のような道路が無かった。
またgoogle mapもインスタグラムも無い時代。

だから、ここは知る人ぞ知る東京側の夜景も綺麗なスポットだった。

 

時間が経って帰る時間になった。

帰り際、彼女は持って来たデジカメで夜景をパシャパシャと撮影していた。
そんな姿を見て「この子は本当に夜景が好きなんだな〜」と感じて、ここまで連れて来られたことにあらためて喜んだ。

喜んでくれる彼女の顔が何より嬉しかった。

夜景

私がゆっくりと階段を降りていると、彼女はそそくさとこの階段を先に降りてこの正面の柵からデジカメで写真を撮っていた。
階段の目の前にあるオレンジ色の柵を越えて写真を撮るために、一生懸命に背伸びをする可愛らしい彼女の後ろ姿がまだ目に残っている。

「夜景撮れた?見せて」と私が言うと見せてくれた。
ただ正直に言えば、ボヤけていて全然綺麗には撮れてなかった笑(当時のデジカメやガラケーでは撮影が難しい)

 

階段を全て降りて彼女の自宅へ向かうため橋を渡る。
ここも西に多摩の夜景が見える綺麗な橋だった。

 

多摩川の河辺での会話:彼女との奇妙な共通点

時間があったので多摩川の河川敷に降りる。
辺りは真っ暗だったから彼女の小さな手を取って土手を下り、川に迫り出したコンクリートブロックの上で少し話すことにした。

もう夏が終わり、河川敷には10月の風の香りが広がっていた。
あの時の空は一足早く冬になっていたので、まるで宝石のように瞬く星がキレイだったことを覚えている。

 

多摩川のせせらぎを聞きながら彼女と話していると不思議な共通点がいくつかあることに気がつく。

①彼女は昔とある塾に通っていたが、私もその塾に通っていた。
通っていた時期がほとんど同じだったから、もしかしたらそこで会っていたかもしれない。(ただ私は事情があったため途中で辞めた)

②彼女は「私、●●の●●が好きなんだー」「もし〇〇高校に行ってたなら自転車で行けたらなって思ってたんだー」と言っていた。
普通の女子高生ならディズニーランドや渋谷、原宿が好きって言うのに●●が好きだなんて珍しいなって思った。

ただ自分も●●の●●は好きだったから、彼女の気持ちがよく分かった。
このとき素直に「彼女は本当に心が優しい子なんだな」と感じた。

 

③「私、〇〇〇〇の■■■■の先の▲▲▲▲▲が好きで●●を●っていたの!わかる?」と彼女は言っていた。
これを聞いた時、血の気が引くような感覚があった。

あまりにも偶然が重なることが多く、少し怖さも感じた不思議な時間だった。(夜で真っ暗だったからなおさら)

 

その後、彼女と会話が続く。

 

「誰にも言えなかった話」彼女に正直に話した自分の夢について

川面に静けさが増して来た頃、彼女が「将来の夢とかある?」と聞いてきた。
ここで彼女には正直に自分の気持ちを話した。

「本当は早稲田大学に行きたいんだ..だけど、まだ偏差値が足りてなくて。このままだと浪人コースだろうな〜」
「ただ俺はずっと部活をやってたからまだ(偏差値が)足りてなくて..」

コンクリートブロックに座わりながら身の周りに落ちていた小石を川に投げながらそんなことを話していた。

 

実は早稲田に行きたいなんて誰にも言ってなかった。
行きたいと思っていたけど、偏差値の伸びがどう考えても間に合わなかった。

だから、学校の先生や予備校の先生、親や親友にさえ誰にも言えなかった。

 

でも、なぜかあの娘には自分の正直な気持ちを伝えることができた。
親友にさえも話せないことだったのに、初めてデートしたあの娘にはスラスラと自然と伝えられたことが自分でも不思議だった。

自分が心を開いて話していると、彼女はそれを静かに聞いてくれた。

 

自宅近くまで送った後に彼女からメールが来る

彼女を自宅の近くまで送る。
途中でいろんなアクシデント(笑)があったものの無事到着した。

事前に買っておいたプレゼントの「キャンドル」を渡した。
実はこのキャンドルは新百合ヶ丘駅にあった雑貨店(ヴィレッジバンガード)で購入した物。

彼女はロマンチックな子だったからキャンドルなら喜んでくれるはず。
明かりを消してライトをつければキレイだから、絶対に喜んでくれると思ったから。

色は薄いピンク色のシンプルなものを選ぶ。
彼女の印象だと濃い色よりも淡い色が好みだと思ったから。

また気泡が入ったキャンドルのほうがデザインが良いから気泡がある物を選んだ。
透明の容器のほうが灯りが部屋中に広がってキレイだから透明の物。

白のキャンドルだと部屋中に灯りが広がらないから白は避けた。
また大人っぽい印象もあった彼女には柄やイラストのある物は選ばないようにした。

そして、お店で見つけてこれならピッタリだと思ってプレゼントすることにした。

(渡したキャンドルには花は入っていないが、こんな感じのキャンドル)

プレゼントを渡す袋にお礼の小さな手紙も添えておく。
何を書いたのか覚えていないが、今日はありがとう!と書いた気がする。

当日に彼女と会った感想も書きたかったから、ジョナサンの廊下の壁を下敷きにして、メッセージを書いた記憶がある。笑
即席メッセージだったけど、たぶん彼女は読んでくれたと思う。

 

彼女の家近くまで送る。
彼女に「今日はありがとう。楽しかった。」と告げて最後まで見送った。

彼女の後ろ姿を見ていると、振り向いてくれたので手を振る。
しばらくすると遠くに行った彼女が振り向いたのでさらに大きくこちらも手を振る。笑

そして何度かこれが繰り返されると、彼女は遠くへ消えて行った。

 

ここから早く家へ帰る。
帰ったら英語の構文の復習くらいはやっておこうと思った。

 

家に帰ると彼女からメールが来ていた

「今日はありがとう!〇〇カッコ良かった。」

イケメンでもない自分には「なんだろう?」と感じた。

そういえば多摩川の堤防に座った時にその娘は

「私ね、▲▲▲▲▲に出てくる♫♫♫♫♫♫みたいな♪〜〜〜♪な人が好きなんだー」

と言っていた。
もしかしてそれかな?とその時は思った。(正確には彼女しか知らない)

当時そのようにメールをしてくれた彼女を嬉しく思った。
高3だった私も「また時間を取ってでも彼女に会いたい」と思い、返事のメールをした。

とりあえず残りの勉強をして就寝。

 

*ここまで読んでくれた方へ。
ありがとう、休憩に色褪せない音楽をどうぞ。

Once Upon A Time

Once Upon A Time (Beegie Adair)

 

2日目:新百合ヶ丘デートから多摩川で会話

2007年当時「大きな金魚鉢のような紅茶」が飲める面白いカフェが新百合ヶ丘にあった。(たぶん今もある)
新百合ヶ丘の改札で待ち合わせをすると制服姿のあの子が来た。

素直に感じたことは、制服姿が可愛かった。
1日目に会った時は私服だったため大人っぽい印象だったが、制服を着ていると高校生なんだと思った。

 

新百合ヶ丘駅の近くあるオーパにある面白いカフェだった。
そこでその子と一緒に馬鹿でかいミルクティーを飲みながら色々と話した。

「大きな金魚鉢のようなミルクティー」を飲んだためかお腹に溜まってしまった笑
時間も経ち夕方になったので彼女と電車に乗って帰ることにした。

 

電車を乗り換えして駅へ向かう。
駅の駐輪所に私の自転車を置いていたため一緒に取りに向かった。

 

そこからまた多摩川へ向かって、彼女を自宅近くまで送ることに。
もう秋の10月、肌に触れる河川敷の風が気持ちの良い季節だった。

 

夜の多摩川の河川敷は真っ暗で誰もいない。
川面にゆらゆらと浮かび上がる橋梁の街灯が綺麗だった。

 

その時、ふとその子に言った言葉がある。

「〇〇ちゃんって、まるで家みたいだね」

この時は高校生の心の中で素直に感じたことを言った。
不思議と一緒にいると安心感がある子だったから、本当にそんな感じだった。

彼女はワケがわからなかったか、戸惑っていたかもしれない。笑

「家に帰ってベッドで横になって休んだ時みたい。〇〇ちゃんと一緒にいるとそんな感じがする」

一緒にいてもドキドキしたり緊張感は無かったが、まるで家族のような安心感や温かみを感じた。
だから、あの時は心からそう思ったんだと思う。

 

そんなこともありながらも夜の多摩川の河川敷のベンチに座る。
少しあの娘の話を聞きたいと思ったから。

 

静かな野球場の横で車の走行音が聞こえていた。

あの娘にも夢を聞くと(あの娘が言った言葉を要約すると)

『幸せな夫婦になりたい』

ということだった。

大変素敵な夢だと思った。
彼女がそう言ったのも心から分かった気がした。

「この子は家庭的な温かみがある子だなー」とそう感じた。

 

私も昔からの夢を話した。

「人生や仕事の夢とか色々あるけど、恋愛や結婚の夢だと、学生の頃に付き合った人と結婚することが夢かな。中学や高校から付き合った人と交際して10年とかで結婚して、ソファーに座ってテレビでも見ながら、昔の想い出話を話せる夫婦になりたいんだ。例えば、大学生の時は〇〇に一緒に行ったから今度またあの場所へ行ってみようかとか、初めてデートした場所にもう一度行ってみようかとか。みんな未来やこれからのことが大事だと言うけど、俺は過去とか思い出を大事にしたいな」

と彼女に話した。(確かこんな感じだった。もちろん息継ぎもしてる笑)
彼女は「いいねぇー」と本当に思っていたのか、いないのか分からないが返事をしてくれた。

 

不思議と彼女とはどこか「一致する」ことが多かった。
1日目の時もそうだったが。

 

それから少しプライベートなことも聞いた。
彼女の好きな音楽、〇〇〇〇〇に1人で▲▲▲▲▲▲に並んだとか。
彼女には「小学生なのにませてるね」と言われたり、まあ色々と的確な指摘も受けた。笑

 

当時の不思議だったことは、彼女に驚くほど急激に心が惹かれていったこと。
まだこの日は2回目に会っただけなのに、もう何回も会っていたかのような不思議な感覚があった。

 

ベンチを離れて帰ることになった。
もう夜も暗いから彼女を家の近くまで送らないといけない。

日中は子供達がスポーツで戯れるグラウンドも真っ暗で誰もいない。
錆びついたギアの音がギシギシと軋む音が響く。

多摩川のサイクリングロードから道路に向かう時に少し立ち止まった。

大学受験のことか何かを彼女と話していた。
その時、なぜか彼女の頭を「ポンポンッ」と触った。

確か彼女に「頑張れ」と言って頭を触った記憶がある。
彼女とはまだ2回目のデートだったが、本当に自分の妹のように思える存在だった。

自分には妹がいないから本当の妹の感覚はわからない。
ただ当時は自分の妹のような、家族の1人のように思っていた。

 

彼女の家が近づいてくる。
だが、その道は治安が悪いからママが通らないようにと言っていた場所らしい。

 

彼女は「今度からこの道を通れば良いね。」と言っていた。
自分も多摩川を通るとこの道が1番早いから、今度からはここを通れば良いと思っていた。
(だが残念なことにこれが最後になってしまった)

 

1日目にデートした時に見送った場所に到着。
夜も遅かったため、ここでお別れになる。

彼女の後ろ姿を最後まで見送った。
1日目のデートの時は彼女は何度も振り返っては手を振りかえしてくれた。

だが、2日目では彼女は後ろを振り返ることなく帰っていった。
最後まで後ろ姿を見送っていたことには気がついてなかったらしい。

 

まだ時間があったため急いで帰宅して復習を行う。
ここで悩みがあった。

不思議なほど彼女に心が惹かれていっていた。
彼女に自分の気持ちを伝えるべきか、言わないべきか。

もう受験も迫って今日のようには会えなくなる。
自分の気持ちを言いたい、言わなければ他の人に取られてしまうかも。

だが、関係が悪化してもう会えなくなるかもしれない。
それも嫌だな…

この時も色々と考えていた。

 

3日目:ゆうひの丘で一緒に夜景を見ながら告白

聖蹟桜ヶ丘のゆうひの丘

聖蹟桜ヶ丘にある有名な夜景スポットの「ゆうひの丘」。
ここは2021年現在は有名な夜景スポットになってカップルで賑っている。

この「ゆうひの丘」は2000年代初頭、私が小学生だった時に多摩川のサイクリングロードを走っていた時に見つけた場所。

「山の上に綺麗な丘がある、行ってみよう!」

と必死にギアを一段(軽いギア)にして自転車で向かった。
当時はGoogle mapもネット・SNSもそれほど普及していない時代。

ここは地元の人ぐらいしか知らなかったと思う。

 

夕日の丘の眺め

小学生だった自分は素晴らしい眺めに感動した。(この頃から風景が好きだった)
その時感じたことがあった。

 

「いつか1番好きな女の子ができたら、この場所でプロポーズしよう!」

 

と、小学生なのに「ませてる」自分がいた。笑

それから中学生になってもこの場所は時々訪れていた。
高校生の時は放課後に1人で来てはベンチに座って本を読んだり、横になって寝ながら空を眺めていた。

それだけ自分にとっては特別で大好きな場所だった。

 

ただ告白するかどうかは迷っていた。
彼女には言わないといけない気がした、自分の素直な気持ちとしては彼女に気持ちを言いたい。
だが、告白すれば関係が壊れるかもしれない、もう戻れないかもしれない。

考えれば考えるほど、高校3年生の自分は答えを出せなかった。
しかし、彼女には自分の気持ちを言っておきたい、それは強く思っていた。

 

 

聖蹟桜ヶ丘のUロード側のパン屋の「ルパ」がある改札前で待ち合わせをしていた。

彼女と会えるのは今日が最後かもしれない、また会えるかもしれない。
それでも自分が1番好きな夜景の綺麗な場所に彼女を連れて行ってあげたいと思っていた。

 

だが、時間になって電光掲示板を見ていてもあの娘が来ない。
京王線の新宿方面からの列車に乗っているはずなのに「おかしいな」と思っていた。

メールも来ていない。(当時はLineはなくメールが主流)
「何かアクシデントがあったのかな…」と心配していた。

すると突然後ろから「ワァッ!」と彼女が驚かしてきた。
「オオッッ!」と驚いたのだが、(彼女ってこんなキャラだっけ?)と内心ではそれにも驚いた。

それまで東京のお嬢さんという感じだったが、この日は「明るく活発な女の子」のようだった。それもそれで彼女の別の一面が見れたことから嬉しかった。

 

 

あの娘にプレゼントを渡す。
プレゼントは大きな袋に入った「大きな(50cmくらい)くまのプーさんのぬいぐるみ」にした。

あの娘は「なんでくまのプーさんなんだろう?」という表情。笑
もしかしたら在庫処分(家にあった不要な物を持ってきた)と思っていたかも笑

 

でも、そんなわけではなかった。
実は2回目のデートの時、新百合ヶ丘から帰って夜の多摩川の河川敷のベンチに座って会話をしたことがある。

その時に彼女のプライベートなことを聞いた。
そのとき彼女は「次の●月か▲月に親が旅行に行って家にいなくなっちゃう」と言っていた。

その時の彼女の表情が少し寂しそうだった。
当たり前だけど、高校生の女の子が1人で家で留守番しているんじゃ寂しいと思う。

男の自分だって心細いのに女の子じゃ尚更だと思った。
だから、何か寂しくないものを送ろうと考えることになった。

キャンドルではなくて、1人でいるなら抱き枕になるような物が良いんじゃないかと思って必死に探してみた。(キャンドルライトを誰もいない家で1人で灯せば余計に寂しくなりそう笑)
ふと見ると、以前に調布のゲームセンターで取ったプーさんのぬいぐるみがあった。

 

「これだっ!」と感じた。

 

当時の公立高校の生徒はUFOキャッチャーが得意な人が多かった。
だから、いくつか人形が家に余っていた友人もいるほど。

それで自宅にあったくまのプーさんのぬいぐるみを袋に入れて、プレゼントにすることにした。

(ただ、高校3年生当時はそれで良かったかもしれないが、本当はそれが正解だったとは思えない。この後事情が変わるが、彼女とは家が近かったことを考えれば、遅くまで夜景を見に行ったり、一緒に近所で食事をするなど別の方法があったと思う)

 

そんなこんなでプレゼントを渡した後、駅のエスカレーターを登って、道路の向いにあるサイゼリアに入った。(2021年現在もあるようだ)
「軽く食事してから夜景を見に行こう!」という約束だったが、
彼女に聞くと「食べてきたの〜」と言っていた笑

再度「えっ、なんで食べてきたの?」と聞いてみる。
「うん、食べてきたの〜」と彼女が答える。笑

 

今でも理由はよくわからないが、サイゼリアに入って私は小エビのカクテルサラダ(今もあるのかな?)を、彼女はアイスを食べていた。
そして、お手洗いを済ませて一緒に夜景を見に行くことにした。

 

行幸橋の交差点に到着。
右の方の遠くからサイレンの音が聞こえる。

彼女にそれを伝えると、目の前を救急車が通り過ぎて行った。
彼女が私の背中に「バシッ」とツッコミをいれた。笑

当時2回目のデートの時と3回目の時では彼女の雰囲気が違ったと思った。
少し別人になったのか、彼女の緊張が解けて本性が出たのか分からなかったがそれもそれで楽しい時間だった。

稲城日野線を通って、信号で止まり、記念館通りの急坂を登る。
この坂は歩いたことがある人は知っているが道が狭くてかなりの急坂を歩く。

 

彼女「ねえねえ、もしかして桜ヶ丘公園?」
私「え、うーん、どこだろう!」と必死に誤魔化す。

 

それにしても、くまのプーさんと彼女の通学カバンが乗っているから自転車が重い。笑
夜景を見に行ったつもりが修行のようになってしまった。

彼女のカバンがとにかく重い。
もしかして事前に坂道を登ることを知っており、わざと石を入れてきたのではないか?というくらいだった。(多分教科書だと思う笑)

 

自転車を必死に押していると、彼女が「あ、待って!」と鞄から何かを探す。
鞄から「午後の紅茶ストレート」を出して「ハイッ!」と渡してくれた。

 

私は「まさか、買ってくれたんだ!」と大変嬉しかった(当時の高校生で100円は貴重)のだが、よく見ると彼女の飲みかけだった。笑

「ありがとう!」と言って紅茶をもらう。
彼女に紅茶を返すと彼女も飲んでいた。(結構坂道を歩いたから疲れたんだと思う)

 

この時は大変気が利く女性だと思って感心したことを覚えている。
また高校生だったから彼女が飲みかけも気にしないのは嬉しかった。

人によって感覚は違うけれど、自分のことはある程度認めてくれているんだろうと感じたから。
彼女といると本当に楽しいなと思っていた。

 

もっと早くこんな子と会っていれば高校生活楽しかっただろうな、と高校3年の私は心の中で静かに思っていた。

 

森林が近づき、ようやく入り口へ到着する。
またここで彼女には目を瞑ってもらった。

夜景を見せる時、彼女を驚かせたい。
彼女の小さな手を取ってゆっくりとベンチまで向かう。

夕日の丘の夜景

彼女に「もう目を開けて良いよ」と言う。
彼女は目を開くと「え!すごい!」と大きな声を出して口を手で覆った。

周りのカップルが彼女の声に驚きこちらを振り向く。笑
とにかく彼女は喜んでくれたようだった。

あの時、驚きながら目を輝かせていた彼女の横顔は今でも忘れられない。

 

すでに一杯だったベンチも、ふと優しいカップルが空気を読んでベンチを空けてくれたので、彼女とベンチに座って夜景を眺めることにした。

もう10月で夜は少し冷えてくる頃。
彼女は学校帰りの制服だったからスカートで寒いと思った。

茶色のジャケットを着ていたから彼女の足にジャケットをかけてあげた。
高校生の当時でも女性が足を冷やすのは良くないと思っていた。

夕日の丘の夜景

10月の澄んだ空の下で星のように夜景が瞬いていた。

また私がいつものように「あのオレンジ色の灯りが中央高速で、あっちが府中。あれが京王線の聖蹟桜ヶ丘。あれが耳をすませばのオープニングで出てくる関戸橋」と要らない情報を伝える。笑

彼女は穏やかな目で遠くを眺めがなら聞いてくれた。

また私が話す。
「多摩の夜景って住宅街が多いから、東京のようなネオンと違って穏やかな夜景が多いよね。それぞれの家の明かりが白だったり黄色だったり個性があって、それぞれの家庭の色と幸せがあるんだろうね」なんて話をしていた。

 

夜景を見ながらも彼女に告白するかギリギリまで迷いがあった。
「もしかしたら今夜が最後になるかもしれない」「でも、また会えるかもしれない」「彼女とはずっと一緒にいたい」「でも、一緒にいられるのも今日が最後かも」

色々な気持ちを天秤にかけていたと思う。

 

彼女のことも聞いてみた。
「〇〇は、大学はどうすんの?」「〇〇か▲▲かなー」

彼女は1日目に多摩川で話したとき「模擬テストの点数が悪かった」と話していた。
だけど、話していた時の様子や話す時の雰囲気から本当は大変利口で賢明な女の子だと思っていた。

 

あの子はきっと大丈夫だと思った。
むしろ早稲田に行きたいと言った自分の方が危ない。笑

私は「そうか、頑張れよ。」と言って、彼女の頭をポンポンと撫でた。
彼女には無事志望校へ行って欲しいと思っていた。

夕日の丘の夜景

彼女に自分の気持ちを言うことにした。
不思議なことにここでも緊張はなく、自然と伝えることができた。

彼女が赤いマフラーを分けてくれた。
自分のジャケットは彼女の膝の上にかけていたため、私だけシャツ1枚で寒かったと気を遣ってくれたんだと思う。

 

とても優しい女の子だと思った。
気が利くところもあれば、天真爛漫な面も垣間見えて、もっと彼女のことを知りたいと感じた。

 

高校生の頃の自分は本当に彼女が妹のように感じられ、変な言い方だが、当時は家族が1人増えたような充実感だった。

 

心地よく感じる夜風を浴びながら、2時間近くずっと夜景を眺めていた。

彼女は夜景の中に何を見ていたんだろうか。
多摩の穏やかな灯りの中を時間だけが静かに流れていた、そんな長くも短い瞬間だった。

「このまま時間が止まって欲しいな」そう思っていた。

 

彼女が携帯を見るともう9時半くらいだった。(当時はスマホではなく携帯)
確実に彼女の門限も過ぎてしまう時間、ここまであっと言う間。
時が流れるのを忘れていた。

 

ここから駅まで帰ることになった。
自転車を押して帰ることになる。

途中で小さなタバコ屋さんがあり、そこに自販機があった。
10月の夜でもう寒いからホッカイロの代わりになればと、ホットの紅茶花伝のミルクティーを購入して渡した。(やや記憶が曖昧)

 

そして聖蹟桜ヶ丘まで向かった。
聖蹟桜ヶ丘の大通りを歩いて、商店街の通路を抜けていった。

 

聖蹟桜ヶ丘の改札の前。
彼女に「もう夜も遅いから気をつけて」と言った。
改札に入って階段の前まで行くと、上り電車が来たからか彼女が駆け足で階段を登って行った。

プーさんの入った大きな紙袋を持った、あの時の制服姿の彼女の後ろ姿が今でも記憶から消えない。
あれが彼女を見た最後の光景だったから。

 

*読んでくれている方へ。
穏やかな多摩の夜景にピッタリな素敵な音楽をどうぞ。
私が1番好きな曲です。

My Foolish Heart

My Foolish Heart (Beegie Adair)

 

急展開と自分の心の葛藤と複雑な感情

ここから恋愛の話から変わって長い反省文になる。
この頃から「自分の中で大きな葛藤」が生まれてきた。

それは「それまでの自分の心と正直に向き合って来なかった大きな代償」のようなもの。これを西洋占星術(古典派ではない)のホロスコープも利用して読み解いていきたい。

(この後から彼女と縁が切れるまでの約半年間が自分の人生で1番辛い時期だったと思う。
それまで部活で大怪我をしたり、大学生になってからは事業が傾いたり色々あったが、今思い返してもこの2007年10月~からが1番心苦しい時期だった。)

 

 

彼女を聖蹟桜ヶ丘駅の改札で見送った後、家へ帰って来た。
自転車のカゴに入れた紅茶花伝もすっかりと冷え切っていた。

 

ここで急展開。
彼女とは上り坂を登って夜景を眺め、下り坂を降りて帰ってきた。
そして、ここで「まさか」を体験する。笑

 

その後、彼女から「やっぱりもう一度考えたい」とメールが来る。
そのメールが来た瞬間はビックリしたが、わからなくもなかった。

夜景を見た帰りの聖蹟桜ヶ丘駅へ向かう時に彼女がパッと手を離した瞬間があった。
その時の感覚から言って「もしかしたら」と感じていた。

それに2日目のデートの時も3回目の聖蹟桜ヶ丘の時も彼女が一瞬ややつれない顔をする瞬間があった。
私が彼女の地雷を踏んでしまったのか、何か彼女に引っかかることがあったんだと思う。

それに3回目に告白するのは早いと思った。
自分の心は吸い込まれるように彼女に惹かれていたが、現実的な問題として受験もあったことから彼女に会える時間は作りたくても厳しいものがあった。

 

色々と、そんなことが頭に浮かんでいた。
だから、彼女としては何か心残りがあるんじゃないかと思っていた。

ただ高校3年生の自分は彼女のことが本当に好きだった。

自分は「本気で好きだと思っている」「受験があるから支えてほしい」という気持ちだけは伝えて彼女の言う通りにした。(ただ無理があったと思うが、自分の気持ちは伝えておくことにした)

 

それから時間が経過していくに連れてあの娘からのメールの頻度も減ってきた。
当時は「(あの娘は)どういう気持ちだったんだろうか」と悩んでいた。

自分を男性として見ていなかったんだろうか、友人だったのだろうか、遊びだったのか、他に好きな人がいたのだろうか。
気持ちを言うのが早かったんだろうか、自分の力不足だったんだろうか、何か傷つけることをしたんだろうか。

18歳の自分には考えるだけで心の荷が重かった。

高3だった当時の自分にとっては本当に結婚したいと(勝手に)思うくらい好きだった。
右も左も分からない暗闇の中に1人でいるようで、彼女のことを考えるだけで胸が痛かった。

 

不思議なことに彼女といた時は勉強が非常に捗った。
彼女と関わりのある時は、色々なことがスムーズに進んでいった。

しかし、精神的に悩んでいる時期は勉強の進みもいまいちだった。
精神的な不安定さは対外的にも影響が多い。

 

ここで当時の自分が「ふと」思ったことがある。

2回目に彼女と会って多摩川で話した時にあの娘のプライベートな過去の話を聞いた。
どこか寂しそうな表情で言っていたから、あの娘は忘れられなかった人がいたのかもしれない、もしくは当時まだ好きな人がいたのかもしれない。(確証はないが)

 

その時自分の中で焦りのような感情が生まれた。

以前の恋愛で2番になったことがあり、またそうなるのではないかとトラウマのような感情があったからだと思う。

あの娘と出会う前の数年前、仲の良い好きな女の子がいた。
その女の子の方から声をかけてくれて、きっかけが生まれ、好きになった子だった。

ただ自分のせいでその子とはうまくいかず、お互いギクシャクしたことがあった。
その子はちょうどその後に好きな男子学生ができたため交際することになった。

私はその子と家が近かったため、その2人が一緒にいることをよく見ることがあった。
それが本当に辛かった。

 

その子に友人が自分の気持ちを伝えてくれたことがある。
実はその子も私のことを好意的に思ってくれていたらしい。

「もし男子学生と付き合わなかったら私と付き合ってた」と言ったようだ。

 

だが、2番って本当に心苦しいものだった。
好意的に思ってくれていたことは嬉しかったが、恋愛のように1番じゃないと意味がないものが世の中には多い。

その子と男子学生が一緒に歩く姿を見ると胸が痛かった。

 

 

…と、2007年当時そんな過去のことを思い出すことになった。

 

予備校の自習室で勉強をしているとそんなことをふと思い出してしまった。
「あの娘は他に好きな人、もしくは忘れられない人がいたんじゃないか?」

 

当時、今の”Twitter”のようなweb上の日記サービスがあり、彼女もそれをやっていた。
知っていたのでときどきそれを見ていた。

それを見てみると、最後に聖蹟桜ヶ丘で会った後も元気そうでよかった。
私がプレゼントしたプーさんも相談の相手になったようだったし(笑)、私のことで彼女はどう返答しようか悩んでいたようだった。(彼女は私が日記サービスを見ていることを知らなかったらしい)

メールは減ったけど、彼女が元気そうでそれは嬉しかった。
だが、気になる記述があり、それを見て「やっぱり好きな人がいるんじゃないか?」と思った。

 

当時も今も高校生が好きな〇〇〇〇に行っていた。(私もみんな行ったことがある)
だが、〇〇〇〇は彼女は嫌いだって2回目に会った時に言っていた。

あのときは私に話を合わせてくれていたのかもしれない。
ただそれでも「彼女は〇〇〇〇嫌いだって言ってたじゃん..」と自分の心の中でつぶやいてしまった。

 

このとき、非常に胸が痛かった。
確信はないものの、焦りや不安の感情が心の中に生まれた。

 

だが、15,16の女の子に「自分のことをどう思っているか(男性として見ているのか)」なんて聞くことはできない。
自由闊達な女の子だったけど、内心は人のことを真剣に考えられるような感情が深い子だったと思ったから。

彼女は私が彼女のことを好きだと知ってる。
だから、絶対に気を遣わせてしまうと思った。

それは「酷」だと思うし、そんなこと聞いて良いものなのか。

 

また「彼女の自由を縛ること」も当然できない。
彼女には自分のそばに居て欲しかった、他の人と出かけて欲しくもなかった。

だが、友人関係の間柄でそこまでして良いものでもない。
感情に任せて自分が大好きな女の子にそこまで自分勝手なことを伝える、そんな権利あるんだろうか?
高3と違って高1の女の子なんて遊びたいに決まってる。

だけど、これだけ好きになった女の子とは離れたくない。
もうあの時の想いは2度と繰り返したくない。

 

ここでも色々な考えを天秤にかけていた。

自分は太陽星座が牡牛座でもASC(アセンダント = 無意識)が天秤座だから、1つの事象に対して2つの意見が生まれることが多い。
天秤座に優柔不断が多いと言われるのもこれが原因だと思う。

それに自分の太陽星座の牡牛座と月星座のみずがめ座がスクエア気味。
これは二重人格のような内的葛藤が多い性格でもある。

【占い】太陽と月、2つの角度を知ると自分ともっと仲良くなれる!-0度・60度・90度深掘り編-【西洋占星術】

(この動画だとわかりやすいと思う)
束縛や独占欲のある太陽星座の牡牛座と自由を好み束縛を嫌う月星座の水瓶座がぶつかっていた。
何が起きているか頭では理解できる、ただ感情がそれを許さない..

しかも、ASCが天秤座で比較は出来ても決められない…

 

そんな特徴によってか自分の脳裏を多くの思考が駆け巡っていた。
でも、決められない、わからない、答えが出せない。

 

あの娘と多摩川で一緒に話した時、聖蹟桜ヶ丘のゆうひの丘で告白した時、彼女と一緒にいると不思議と自分の本当の気持ちを話すことができた。
しかし、彼女と会えなくなってからは段々と自分の心を開くことができなくなっていた。

 

「彼女からの電話を切る」という失態

それから1~2ヶ月たった冬。
12月か1月だった頃に彼女と連絡を取った。

彼女は「新宿のイルミネーションが見たい!」と受験間際の私にメールを送ってきた。笑

ただ、それには彼女も何か心境の変化があったんだと思う。
彼女の心の変化か、あるいは彼女の周りの変化かもしれない。

 

自分はこの頃も彼女に色々な感情があった。
寂しさや悲しさ、辛み、怒り、喪失感もあれば、彼女のことを好きな気持ちもそのまま残っていた。

彼女には「自分は本気だ」と言った時のその気持ちは残っていた。
ただ彼女に対して同時に「自分の気持ちを理解してほしい」「自分がこれだけ思っている気持ちを知ってほしい」と思っていた。

あれだけ自分の気持ちを話したのに、彼女は自分をどう思っているんだろうか。
彼女に告白して気持ちを知っている彼女が、自分のことを低く見ているんじゃないか?
と、わからないことばかりだった。

もし有るならば、言葉や形にして気持ちを教えて欲しい。

 

 

自習室にいた私は彼女から電話をするように頼んだ。
自習室から出て予備校近くの小道に出た。

 

彼女から電話が来た。

当時はスマホのようなテレビ電話もなく、携帯の電話で声しか聞こえない。
彼女の声は久しぶりに聞いたから、嬉しかったことを覚えている。

甲高い声で透き通った声をしていたからすぐにわかった。
聖蹟桜ヶ丘で夜景を見た時以来だったから、声だけでも聞けたのは本当に嬉しかった。

本当は会って彼女の可愛い顔を見ながら話したかった。

 

ただ、ここで問題が発生した。
自分の中にあった色々な感情が邪魔をしてきた。

彼女は「新宿のイルミネーションが見たい!」と言っていた。
高3だった当時の自分は、そんな彼女のワガママなところも好きだった。
正直に言えば、自分も受験さえなければ大好きだった彼女と見に行きたかった。

だけど、自分には受験がある。
メールや電話ならまだしも新宿まで行って会うことは難しい時期だった。

 

そして、自分の中にあった「自分の気持ちをわかって欲しい」という思いが強く出てしまった。(受験の忙しさではなく、私の気持ちをわかって欲しいということ)
つまり、自分がこれだけ彼女のことが好きなのに、どうして彼女は自分に彼女の正直な気持ちを話してくれないのだろうという蟠り(わだかまり)があった。

 

受験のことはしょうがない。
ただ当時の私は自分の気持ちが踏みつけられて蔑ろにされたと思い、それにも関わらず彼女の自由奔放な部分が引っかかってしまった。

久しぶりに電話するからか、彼女はむしろ気を遣ってわざと明るく振る舞ってくれたのかもしれない。(かもしれない、違うかもしれない)
1日目にデートした時に「高校3年生の受験生だとクラスメートとか周りもイライラしてない?」と言っていた。
彼女は受験生の気持ちをよくわかっていたから、彼女のほうが私に明るく気を遣ってくれたんだと思う。

 

当時の私は彼女の声を聞くたびに、自分の心の中の様々な感情に刃向かえずに
「〇〇ちゃんの声がわからない!」と言ってしまった。
そして、そのまま電話を切ってしまった。

 

本当はそんなことはなかった。
彼女の甲高く、透き通った声は大好きだった。

もし出来るならば、彼女の声をずっと聞いていたい。
一緒に夜景を見ながら彼女の話をもっと聞いてみたいと思っていた。
365日四六時中、ずっとそばで彼女の声を聞いていたいと思っていた。

 

予備校の自習室に戻る。
ただ、罪悪感を感じて彼女にメールをした。

「〇〇ちゃん、ごめん」

彼女は「ううん、大丈夫。」と返事をしてくれた。
新宿のイルミネーションの話は無しになった。

「自分は何をやってるんだろう..」
あの時、電話を切ったのは自分でも酷かったと思う。

 

今思い返しても、自分が1番大好きな子にどうして素直になれなかったんだろうか。
彼女のことがまだ大好きだった自分の気持ちに素直になっていれば良かった。

当時の自分にはどこか天邪鬼なところがあった。
好きなのに好きでないと言ってしまうような天邪鬼なところ。

今思い返せば、幼少期に「自分の気持ちをわかって欲しい」と感じたトラウマがあった。
自分の中に解消できていない重大なトラウマがあり、これがあの娘に対して無意識に出てしまったんだと思う。

 

彼女と電話していても「自分がこれだけ辛いのを彼女はどうしてわかってくれないんだろう」と思っていた。
でも、自分は人に感情を出すことが苦手で、彼女に対してもそれを伝えることも、感情を表現することもできなかった。

これは自分の人生の課題だと思う。

 

自分は他人や物、事のように「外」に対して考えてばかりだった。
「どうしたら彼女が喜んでくれるか」「どこに彼女を連れてったら楽しいだろうか」と外へ外へ。

しかし、1番大事な自分の「心」の部分は置き去りにしていた。
高校3年生まで、ずっとそうだったと思う。

大事な自分の感情と向き合うことはせずに、外へ外へと意識が行っていたため、いつも自分の感情はどこか置いてけぼりにされていた。

 

あの娘といると不思議と自分の感情やトラウマ、過去を思い起こされることが多かった。
あの娘と聖蹟桜ヶ丘駅で別れて会えなくなってから、異常なほど自分の感情が掻き乱されていく。

彼女は写鏡だった。
彼女との関わりから生まれた、もしくはすでにあった自分の感情を見ていただけ、つまり彼女を通して見たのは「自分自身」だった。

ただ、今となってはこの経験が自分の人生には必要だったと思っている。

 

そして、彼女の心を傷つけてしまったと思う。
「声がわからない」と言われたら、たとえそれが知人であってもショックだろうから。

特にサッパリとして活発な印象もある女の子だったが、感情も海のように深い女の子だと思う。
妹のように好きだったあの娘に自分はひどいことを言ってしまった。

あの子には謝りたい。
あの娘を悩ませたかもしれないし、辛い思いをさせたかもしれない。

今こうしてブログに書いていても、当時の彼女の心情を思うと心が痛い。

 

*読んでくれている方へ。
ここまで文章が長かったのでリフレッシュに素敵な音楽をどうぞ。

That Sunday, That Summer

That Sunday, That Summer (Beegie Adair)

 

横浜の夜景と使ってくれたプレゼントしたキャンドルライト

2008年の2~3月の頃。
彼女から「受かった〜?」とメールが来て、浪人することを伝える。

本当は受かって連絡ができればカッコ良いだろうが、もう浪人ペースだった。
ここまで勉強以上に色々と心の混乱が多い時間だった。

自分は浪人のショックはほとんどなく(感情的な出来事ではないので対処できた)、それ以上に彼女との関係性や自分との心の向き合いに対して疲弊していた。
彼女や自分の心とどう向き合うか、答えの見つからない錯綜した世界で迷っていた。

 

彼女が「横浜に行きたい!」と再度誘ってくれた。
今は記憶があやふやだが、公立学校の卒業式の日程か何かのせいで難しいものだった。

私は一度「横浜より江の島へ行こう」と提案した。
江ノ島の夕方は綺麗だから、夕日も彼女と見てみたいと思っていた。

彼女は「横浜行きたい!」と言う。

私も「彼女とどこかへ行きたい」とは思っていた。
ただこの時もどこか素直になれなかった。

彼女とは会いたい、時間を取ってでも会いたい。
だが、何かが自分の感情を邪魔していた。

それは「彼女の本当の気持ちがわからなかった」こと。
もしかしたら一緒に横浜へ行っていれば、彼女が話してくれた可能性はある。

それなら友達でも知人でも全然構わなかったかもしれない。
ただ当時、彼女から自分をどう思っているかの気持ちがハッキリとわからなかった。

私は「彼女に自分の気持ちをわかって欲しい」と言う気持ちのままだった。

 

結局、彼女に対して

「お姉ちゃんと行けば?」と言ってしまった。

この時も自分は電話を切ったあの時と変わっていなかった。
結局、後日聞いてみるとお姉ちゃんと横浜へ行ったようだが、本当に行ったかはわからない。

 

彼女には素直になれないままだった。
大好きな女の子だったのに、むしろ大好きだったからそんな感情になってしまった未熟過ぎる自分がいた。

今思えば、あれだけ時間の取れた3月になぜ高校生の私は彼女に会わなかったのだろうか?

 

 

もう3月の初旬の卒業式のシーズンになった。

ふと彼女の日記サービスのようなものを見ていた。
よく見ると、初めて会った時に自分がプレゼントしたピンク色のキャンドルを使ってくれている写真がアップされていた。

その時は嬉しかった。
ただ、暗い部屋で灯されるキャンドルの写真と一緒に「詩」のような文章が書かれていた。

それは抽象的で直接意味をなすものではなく、何度読み直しても意味を捉えることができなかった。
当時は親友のM子に相談して聞いてみたりしたが、難しいものだった。

 

だが、今思えば、あれは彼女の気持ちだったと思う。

 

もしかすると彼女の自分へのメッセージだったのかもしれない。
あるいは別のことで何か彼女に辛いことがあったのかも、寂しい想いをしたのかもしれない。

そうかもしれない、違うかもしれない。

 

彼女は「自分は(私に)嫌われてしまった」と思ったのかもしれない。
私のそれまでの対応(電話を切ったり、一緒に遊びに行かなくなる)からすれば、一般人はみなそう感じると思う。

 

でも、本当はそんなことはない。
彼女のことはずっと好きだった。
むしろ私のほうが心から彼女の存在が離れずに、ただそれが重過ぎて、自分の感情やトラウマとぶつかり合い、空回りしている状態だった。

私は「本気で好きだ」と彼女に伝えたのに自分の心の混乱でそれを果たせなかった。
彼女に告白した時も同じような言葉を彼女に伝えた。
彼女に伝えた気持ちは形骸化してでも守るべきだった、そしていつか判断を彼女に任せるべきだったと思う。

 

事情がどうであっても、あの時彼女に連絡をしておくべきだった。
メールでも電話でも、家が近所だったんだから呼び出して一緒に夜景を見ながら話すことだってできた。

詳しい事情はわからない、でもそれを聞くために会えば良かった。
彼女が辛いなら理由は何であっても話を聞くことが大事だった。

自分が好きな女の子が1番辛い時に、話すら聞いてあげられずにゴメン。

あの時、1番辛かったのは彼女だっただろうと思う。

 

 

あの娘と縁が切れる

それから浪人することになった。
時間がたった2008年の5月~7月頃だったと思う。

ふと連絡を取っていなかった彼女のことを思い出した。

「そういえば…」と思い出したことがある。
彼女と2回目にデートしたとき多摩川のベンチに座って話を聞いた。
その時、彼女の両親が旅行でいない日があると聞いていた。

その時の彼女の表情は寂しげで、やはり高校生の女の子が1人でいるのは辛いような感じだった。

 

それを駅のホームで思い出した。
彼女のwebでの日記を見てみると、旅行の日はもう過ぎていたらしい。
1人で過ごしたようだったから寂しかったんじゃないかと思う。

 

これは自分の大きな後悔だった。
自分はまだ彼女が好きだったものの、彼女が寂しい時に何もしてあげられることが出来なかった。

この出来事は当時の自分にとっては心が耐えられなかった。
この時は彼女とメールすることもない時期で、もう横浜へ一緒に行くことを断ってから彼女には愛想を尽かされていたんだと思っていた。

もし出来たのなら、自宅も近い彼女だったから、両親がいないなら門限も破って今度は一緒に食事をしてから好きなだけ夜景を見せてあげれば良かった。
1日くらい時間を潰してでも彼女に会うことはできた。

 

だが、それも叶わなかった。
自分は浪人生だったことや当時は彼女とやや疎遠になっていた。

そんな状態で誘うことも難しければ、私自身も精一杯だった。
大きな後悔だった。

彼女が話してくれたことに力になることが出来なかった。

あの時の状況から、彼女がそれを望んでいたとは思えない。
だけど、もし自分が自分の心と向き合えていれば、この日の前に違う世界を生きていたかもしれない。

そう思うと取り返しのつかないことをしたと思う。
時間を戻すことはできない。

 

彼女にメールを入れる。
彼女から返事が来たが、もう社交辞令のようで気持ちが離れてしまっているようだった。

 

彼女のことはまだ好きだった。
ただそんな自分の気持ちと現実は大きく違っていた。
向き合えば向き合うほど辛い現実だった。

 

彼女には最後にメールをすることになった。

“色々と本当にありがとう。”

それも本心ではなかった。
本当は彼女とだけは離れるようにはなりたくなかった。

正確には物理的にはもう離れているが、精神的にも離れることは避けたかった。
すぐそばに居てあげるような物理的な距離も大事だが、何かの存在が精神的な支柱になるような存在も自分には大事なものだった。

当時の自分にとってそれは彼女だったと思う。

 

彼女からも
“受験頑張ってね”と優しくも気遣ってくれるメールの返事が来た。

彼女は自分に対して思い残すことも無いようだった。
もう友達でもなかったのかもしれない。
それもまた辛かった。

 

彼女のweb日記を見た。
彼女は私が何に対してありがとうと言っているのか分からないようだった。笑

 

 

ここで彼女のメールアドレスを消さないといけないと思った。
そして、自分のアドレスを変えることを決めた。

 

これも今思えば1番の間違いだった。
彼女と会えなくなってから電話を切ったり、素直になれなかったりしたが、それまででも1番ダメなことだった。

ただ当時の自分には耐えられない気持ちがあった。
自分が人生で1番好きになった女の子に向き合えなかった悲しさや辛さ、寂しさから限界が来ていた。

ぼろぼろと驚くほど自分の悪いところを見せられて、大好きだった彼女との関係性も最悪になっていた。
それに耐えることができなかった。

 

これが最後で彼女との縁が切れてしまった。
彼女を最後に見たのは聖蹟桜ヶ丘の改札の階段を登る後ろ姿だった、最後にメールをして関わりがあったのがこの時だった。

 

彼女は出会った頃にこう言っていた。

「もし調布の花火大会に行く人が居なかったら一緒に行こう」と。

私が浪人し、夏前はこの関係性だったから彼女は別の人と行っていたかと思う。
ただ、もし彼女が私に連絡をしてくれていたとしたら、彼女はメールを送れないことに気がついたかと思う。

万が一、声をかけてくれたならば酷いことをした。
最後の最後まであの娘を傷つけることをしてしまったと思う。

 

もしあの時、彼女と上手くいっている別の世界があったのなら、彼女と調布の花火大会に行ってみたかった。

あの娘とはたとえ恋愛関係になれなくても、友人として関係を続けていくべきだった。
人を好きになる気持ちは感情なのか、エゴなのか。

 

あの娘に会って自分の素直な心を話せてから(早稲田に行きたいと言えてから)、驚くほど急速に当時の私の心は彼女に惹き寄せられていった。

しかし、聖蹟桜ヶ丘で別れた後から、まるで何かに惹き寄せられるように、彼女との関係性は最悪になっていった。

今振り返っても、自分が望んでいない方向へ、運命というのか別の力が働いてそうさせたようにも感じるほどに、私の悪いところが露呈して、自分の意思とは程遠い状況に向かっていった。

それは自分の無意識なのか、愚かさなのか、またはそういった運命だったのか正確にはわからない。
ただ自分の気持ちがそう進むように、何かのレールの上を走るように導かれて進んでいったようにも思える。

 

当時の私にとってあの娘とだけは疎遠にはなりたくなかった。
だが、あの娘とそうならないといけない理由があった(ある)のかもしれない。

 

*読んでくれている方へ。
変わらぬ昔の時を思い出させてくれる音楽をどうぞ。

Here There And Everywhere

Here There And Everywhere (Beegie Adair)

 

あの娘との関係では「自分の心に嘘をついた」ことがいけなかった

あの子との関係性では考えさせられることが多かった。
親との関係・分かってほしいという甘え・電話を切ってしまった・素直になれなかったこと、自分の心に嘘をついたこと。

恋愛というよりも人生の学びが多かった。
ただ自分としては当時本当に好きになった女の子を失ってしまってショックが大きかった。

まさか自分が何年も忘れられない運命的な恋愛をするとは思ってなかった。

 

*読んでくれている方へ。
この先も文章が長いので休憩に音楽をどうぞ。

The End of a Love Affair

The End of a Love Affair (Beegie Adair)

 

浪人から大学とWebサイト

なんやかんやで勉強をしたら学力は上昇した。
生まれながらにコツコツと頑張る系の人間だったから「やればできる」をモットーにやっていた。

早稲田大学もA判定が出るレベルになり、後は頑張るだけだった。(確か政経と法はC判定だった)

 

ただ1度だけ5月に嫌になって新宿の代ゼミタワーを抜け出したことがある。
そのまま湘南新宿ラインに乗って、藤沢を経由して片瀬江ノ島へ向かった。

キャンティ片瀬江ノ島店

片瀬西浜まで歩いて「イルキャンティ」の目の前から鵠沼海岸方面へずっと海岸を沿っていった。

片瀬江ノ島の夕陽

江ノ島の波打ち際を夕陽に誘われて歩きながら

  • 「人生ってなんだろうか?」
  • 「そういえば、あの娘と一緒にこの浜辺を歩きたかったな」
  • 「平日なのにサーファー多いな。何を仕事にしてるんだろう?」

と色々考えていた。

だが、海風に聞いても何も返ってくることはない。
ただ振り返れば自分が残した足跡が白波にさらわれていくだけだった。

浪人生が海に行くって意外と多いと思う。

 

 

大学生になって彼女と行った場所を1人で訪れてみたことがある。
思い出は残っていたが、もちろん彼女がいるわけでもない。

彼女にもう会えないことはわかっていたが、自分はどこか彼女の幻影を探していたのかもしれない。
それだけ自分にとっては大恋愛だった。

 

*ここから本題に逸れるのでカット。

 

*ここまで読んでくれている方へ。
まだ続きます。休憩に素晴らしい音楽をどうぞ。

Yesterday

 

Yesterday (Beegie Adair)

 

なぜあの娘を忘れられなかったのか

彼女のことは自分の人生の中でも大恋愛だった。
だが、それ以上に多くのことがあったので残しておきたい。

運命論として今振り返ると、あの出会いは必然だったのだろうと思う。
そして、あの時あの娘に出会わないといけない理由があったのだと推察できる。

 

幼少期のトラウマ

今思い返してみると、彼女の存在が自分の幼少期のトラウマが思い出されるキッカケだった。
幼少期に母親が家を出そうになって、それを泣きじゃくって必死に止めた覚えがある。

もしかするとこの体験が自分の人生形成において、何か関わっているのではないか、そして彼女に出会った理由の1つはそのトラウマの解消(想起)だったかもしれない。(高校生当時は彼女が大好きだったがそんな意味もあったかと推察する)

ここからホロスコープを使って解説する。

ホロスコープには「キロン」という惑星がある。
これは

  • トラウマ、過去の心の傷
  • いくら補っても満足できない性質

などを意味するらしい。
そして、辛口オネエによれば

キロンは関わる天体や感受点の傷を癒そうとするから、相性ではキロンを重ねられると重ねられた側はその天体や感受点の意味におけるトラウマや傷、虚しさが癒される。

とある。
私のキロンは蟹座の位置にある。
そして、私の感情を意味する月星座は水瓶座。
恋愛を意味する金星は牡牛座にある。

つまり、私の

  • 蟹座のキロン
  • 水瓶座の月
  • 牡牛座の金星

のいづれかが彼女の持つキロンや天体にアスペクトをとっていたのではないかと推察する。

辛口オネエの話が正しければ、私の月星座や金星あたりに彼女のキロンが0度や90度、180度などのアスペクトをとっていたはず。
また、もし私のキロンが彼女の何かの天体や感受点、小惑星とアスペクトがあれば、彼女も私と過ごした時間で何か癒されるようなことがあったかもしれない。
それならば彼女も何か私を通して出会う意味があったのかもしれない。

私は過去の恋愛や幼少期にトラウマがあったことを考えると、金星や月に彼女のキロンが関係していたと思う。
それまでに好きになった子やその後に好きになった子にも、このような感情を抉られるようなことはなかった。

だから、あの娘は私の人生で非常に大きな出会いだった。
彼女と出会ったおかげで、自分のトラウマや幼少期を考えるキッカケになった。

当時、あの娘は恋愛として本当に好きになった相手でもあるが、人生という大きな潮流の中で考察してみても、大変意義のある時間を過ごせた相手だった。

 

なぜ彼女と出会ったのか?

私の出生図は太陽と火星がセプタイル(宿命)になっている。

つまり、火星が持つエネルギー(情熱や仕事)を太陽である自己実現・人生などに打ち込むことが宿命(運命よりも強い前世からの因縁レベル)になっているらしい。

 

自分のホロスコープの中には火星座(牡羊,獅子,射手)がないにも関わらず、どこかで情熱的にエネルギーを使いたいと思っていた正体はこの太陽と火星のセプタイル、これだった。

これが強烈なエネルギーになっていたのだと思う。
ただその気力が削がれていたのが高校3年生の10月だった。

「早稲田に行きたいがどうしようか」ここで諦めれば自分らしさを失ってしまう。
そんな悩みに落ち込んでいるときだったから、彼女と会ったのではないかと思う。

 

引き寄せというものだったかもしれない。
実は他にも人生で縁のあった人と自分に何か関係があるのか調べてみた。

そうすると、強烈なアスペクトがあったり、奇妙な星の配置がある例がほとんどだった。

もし私が太陽と火星のセプタイルがなければ、彼女と会わなかったのではと思う。(つまり、知り合うことすらなかったのでは?)
私の火星に強烈なアスペクトがあり、ちょうど落ち込んでいる状態であったため、何らかの力が作用して彼女と会わせてくれたのではないかと思う。

だから、言い換えれば私がセプタイルもなく、過去のトラウマがない状態ならば、彼女ではなく違う女性に出会った人生もあったかもしれない。
あるいは誰とも会わない10月だったかもしれない。

 

今思えば「奇妙」で「怖い」出会いだった

あの娘は大変素敵で素晴らしい女性だったが、出会いの偶然性について今考えると「奇妙であり恐怖」もある。
というのも、余りにも出来過ぎているような気がしたから。

まずタイミングについて。
2007年の10月以前であれば彼女の理由で会えなかった、またそれ以降であれば私の受験で会うことはできなかった。
偶然あの10月というベストタイミングで会うことができた。

さらに、

火星と金星のセプタイル

彼女に告白した2007年の10月、緯度と経度は東京都多摩市聖蹟桜ヶ丘のゆうひの丘。
この日と週はトランジット火星が私のネイタル金星に51.54度のセプタイル(宿命)だった。
これは、私にとって宿命的な恋愛になることが決まっていたということ。(今気がついた)

セプタイルは0度や180度よりも強烈なアスペクトで、運命よりも強い宿命という意味らしい。
実際に体感としても、セプタイルは0度や180度なんて超えて本当に強烈だと思う。

 

しかも彼女に告白した週だけがこのセプタイルになっていた。笑
つまり、当時は告白するか悩んでいたが、もうすでにあの日の夜に告白することが決まった宿命だったらしい。(彼女から見たら他のアスペクトがあるのかも)

 

当日のギリギリまで告白をするか悩んでいたが、気持ちを話すときはスラスラと話すことができた。
まさか星の配置、星の後押しのおかげかもしれない。

 

また、お互いの性格もピンポイントで一致したこと。
もし彼女が

「早稲田目指す人よりも現実的視野を持った人が良い」

という女性なら縁は生まれなかっただろう。

 

また1日目の最後にメールをくれた彼女が「カッコよかった」と別の内容だったならどうだっただろうか。
“カッコよかった”という言葉は早稲田に行きたいと思っていた当時の私にピンポイントで刺さった言葉だと思う。

自分の心の奥に秘めていた想いに、彼女の言葉が偶然にもマッチして響いた。
それがあの言葉だったと思う。

彼女のあの言葉は嬉しかった。

 

だけど、それ以上に自分が子供の頃から大事にしてきた想いに気づかされたんだと思う。

昔はスポーツ選手になりたくて、小学生の頃から早朝からランニングをしたり、中学の帰りは寄り道をして多摩川で練習をしていた。
高校では部活が終わってからもジムに通ったりして、自分のやりたいことには正面からぶつかっていった。

今考えれば、自分の中にそんな気持ちがあったものの、高3のときは部活も終わって気力が抜けていた。

だから、彼女と出会って「自分が子供の頃」をどこかで思い出したんだと思う。
子供の頃から大事にしていた気持ちに彼女が気づかせてくれたということ。

 

だから、彼女は特別な存在であって、たった1週間ほどで自分の心が驚くほど彼女に惹かれていったのかもしれない。
もしあの時、別の女の子と出会っていても、こんな運命的な恋愛はなかったと思う。

 

偶然1日目のデートだけで彼女の好みや私の好みに一致した出来事があった。
それがあれだけ惹かれた理由かもしれない。

 

さらに家が近かったこと、少年期に同じ塾に通っていたこと(すでにすれ違っていた?)、夜景が好きだったこと、奇妙な一致点が多かったこと、何故かそれほど緊張しなかったこと、重要な部分の関わりなど不思議が多い。

 

自分は好きになった女の子がなぜか共通点がある。
あの子も実はその共通点に驚くほど合致していた。

 

あの娘は本当に美人で、性格も自由闊達だったから、男性はほっとかないと思う。
だけど、自分はそれほど緊張しなかった、むしろ家族のような安心感があった。

可愛い子と一緒にいたら緊張するのに、一緒に居た時は何故かそんな雰囲気でもなかった。
あれは今でもよく分からない。

きっと人生の計画設定から何らかの理由であの時会わないといけなかったのではないかと思う。

 

つまり、人生設計の必要性や私の心(魂)の問題に気づかせるために、運命的に会うことが決まっていたのかもしれない。(もしかすると彼女にとっても何か解決すべき問題があったかも?)

 

私からの視点で考察すれば、あの時彼女に早稲田に行きたいと伝え、彼女からメールが来たおかげで縁が生まれ、その後も頑張ることができた。
もし彼女に合わなければ、挑戦することすらせずに自分の実力に合わせた大学に切り替えていた可能性もある。
彼女が私の背中を叩いてくれたおかげで自分らしさを失わずに済んだのだと思う。

また高校生の頃は自分が未消化だった過去のトラウマや蓋をしてきた感情に気がつき、自分の幼少期に感情的なトラブルがあったことに気付かされたことには驚いた。

 

こういったことを担う役目があの恋愛にあったのかもしれない。(当時はそんなこと考えもしなかった笑)
それならば彼女と縁のあった週がセプタイル(宿命)だったことも理解できる。

 

もう1つ言うと、ホロスコープにドラゴンヘッド/ドラゴンテイルという要素がある。
私のドラゴンヘッドには「人生の中で運命的な恋愛をする」というのがある。笑
ドラゴンテイルには「運命的な出会いによって人生が180度変わる」とある。笑

もしかすると…この恋愛のことだろうか…苦笑

 

この恋愛は物質世界的に「何かを得た」というよりも霊性の観点から得たものが多かったと思う。
それまでに恋愛をしたこともあったし、その後も恋愛はあったが、彼女と関わりのあった半年ほど深く自分の人生や感情を熟考し再考させるようなことはなかった。

あの娘に合わなければ、自分の心の中を見ることなしに大学などに進学していたかもしれない。
恋愛は残念ながら成就しなかったが、人生から見ればあまりにも収穫が多く、今でも別の視点から考察すれば興味深い点が多い。

 

*ここまで読んでくれている方へ。
もう終盤です。休憩に素晴らしい音楽をどうぞ。

My One And Only Love

My One And Only Love (Beegie Adair)

 

なぜ、この時期にあの娘との恋愛を書いたのか。

なぜ2021年のこの時期に2007年10月の恋愛をここに書くのか。
実はここに書き記しておかないといけないのではないか、と感じたから。

2021年の5月に急になぜかあの娘との恋愛での感情が蘇ってきた。
正確に言えば、高校生の時に置き去りにしてしまった感情だと思う。

自分でもよくわからない不思議な感情で原因を調べてみると1つ当てはまることがあった。
占いの世界に西洋占星術があり、このトランジット海王星(普段動いている天体)が私のネイタル(出生図)の月と金星に「セプタイル(前世からの宿命)」という強烈な配置(アスペクト)を作っていた。

トランジット海王星のセプタイル

月は「感情」、金星は「恋愛」などを、海王星は「曖昧、幻想、霧、アート、無意識、変性意識」などを意味する。
つまり、私の過去の恋愛とその時の感情をこの時期に無意識下から引きずり出して、時間の境界線を曖昧にし、幻想に包みながら想起させたということ。

2007年の高校生の時の恋愛を2021年の5月から思い出す事が必然(生まれた時に決まっていた)だったのかもしれない。

 

2021年の5月から10月までの5ヶ月間ずっとこの配置だった。(海王星は遠い星で動きが遅い)
そのせいか、日中や夕方、夜遅くになってもずっとあの時の恋愛が頭を過(よぎ)ってきた。

しかも、海王星の影響と「セプタイル(宿命)」のせいか人生で経験したことのない強烈な焦燥感だった。(本当に精神的に辛い)
あの2007年に自分が高校3年の時に感じた記憶や感情が甦り、まるで自分の心だけ高校生のあの時に戻ったようだった。

胸が締め付けられるように苦しくなり、なぜかあの娘と夜景を見た場所へ行ってみたり、1人で夜景を眺めたりしていた。
朝まで眠れない日もあり、明らかにおかしい。

 

最初は自分の頭がおかしくなったのだろうかと思ったが(月星座が水瓶座だから元からやや変人だが笑)、星の配置のせいだった。
もしかしたら私が生まれた時に、すでに2021年のこの時期にこうなることは決まっていたのかもしれない。
そう考えるとあの娘と縁がなかったのは運命か宿命だったのだろうか?(わからないが)

8月から海王星と金星のセプタイルが抜けて心が和らいできた。

 

ただそれだけ自分の中で「未整理の感情」があったことに気がついた。

自分の無意識下の領域を知らない間に使っていたのだろう。
高校生や浪人生のあの時の感情も整理することなく、心の奥底に押し込めていた。

それをこの時期(トランジット海王星がネイタルの月と金星にセプタイル)に思い出させてくれたのではないかと思う。
こんなことが本当に自分の人生で起きるとは思ってもみなかった。

 

もう一度、自分と向き合う必要がある時期だと思う。
自分のエゴを捨てて、自分を見つめ直さないといけない時期らしい。
トランジット海王星が来た時の安全な過ごし方

 

自分の無意識を何かに占有されているとエネルギーを全部使えない。
だから、彼女のことは親友だったM子以外には誰にも話していないが、ここに書いておきたいと思う。

高校3年生のあの時、彼女を嫌いになったわけじゃない。
当時の自分の心意を残しておきたい。

 

 

ただ…不思議に思うことがある。
ホロスコープが生まれた時の計画書であるならば、すでに出生の際にこの人生が計画されていたのだろうかと。

もしかすると高校生の時に彼女に出会って上手くいかないこと、そして、2021年にそれを想い出すことまで決まっていたのだろうか?
ネイタルの月と金星がバイセプタイル(102.8度)だから、ちょうど中間地点に海王星が入ると、月と金星が海王星にセプタイルになるのは決まっていた。

 

出会ってうまくいかないことまで決まっていたのだろうか?人生計画書だろうか?
それともただの占いだろうか?表層が本質を超越した考えなのだろうか?

これはわからない..

 

*ここまで読んでくれている方へ。
あともう少し。休憩に素晴らしい音楽をどうぞ。

Always On My Mind

Always On My Mind (Beegie Adair)

 

最終

彼女には幸せになって欲しい。
誰よりも彼女だけは。

そして、彼女には夢を叶えて欲しい。
穏やかな夜風の中、多摩川の河川敷のベンチに座って聞いたあの娘の将来の夢。

俯きながらどこか恥ずかしそうに自分の夢を話すあの娘の横顔をまだ覚えている。
そんな夢も、もしかしたら、もう叶えているかもしれない。

 

きっと今は綺麗なお姉さんになっていると思う。
彼女を最後に見たのは高1の時だったから、今はもう想像もつかない。

彼女は生きているのか、亡くなってしまったのか…今はそれすらもわからない。

 

当時は高3と高1で、大好きだった彼女のことを妹のように思っていた。
まるで家族が1人増えたような気持ちだった。

 

高校生の時は、自分が彼女のことを幸せにしたい。そう思っていた。

今の自分の気持ちとしては、あの娘には誰より幸せになって貰いたいと願ってる。

もう縁も切れてしまった人に、そんなことを言う権利も義理もないかもしれない。
特に自分はあの娘を傷つけることばかり言って、自分の心にも彼女にも向き合うことができなかったから。

 

もし言える資格があるのであれば、そう言いたい。

聖蹟桜ヶ丘の階段を登る制服姿の彼女の後ろ姿が最後の光景だった。
あれから自分の人生にとって彼女のことが心残りだった。

 

正直な気持ちを言いたい。

あの娘と見た夜景が1番綺麗だった。
高校生の自分があの頃の人生の中で見た女性で1番素敵な女性だった。

 

彼女と過ごした時間は、嬉しいことも幸せな時間も辛い出来事もあれば、心をエグられることもあった。
しかし、想い出がこれ程までに素晴らしいものだと思わせてくれたのも彼女だったと思う。

 

 

今でも夜景を見ると高3の時にあの娘と一緒に夜景を見たことを想い出すことがある。
もう14年も経った昔のこと、それでも思い出すということは、夜景には時を忘れさせてくれる何かがあるらしい。

Only The Lonely

Only The Lonely (Beegie Adair)

 

最後まで読んでくれた方へ。
自分のことを書いたことはこれが初めてで読んでもらって嬉しい。

もう14年も前の高校生の頃のこと..
でも、私にとっては「まるで昨日のこと」のように覚えている出来事でもある。

ここまで読んでくれた人にもきっと忘れられない人がいる(いた)んだろうと思う。
あるいは心優しい人かノンフィクション小説が好きな人か、運命論の好きな人かもしれない。

 

今の子とはまた違う、こういった恋をした高校3年生が2007年にいた。
今の時代と違って当時はもう少し日本の社会もおおらかで自由で明るかったから、また違った楽しさがある時代だった。

 

気持ちを整理することは難しい。
書いていると次から次へと書きたいことが生まれ、それを書くと文章前後の整合性が崩れていく。
そしてまた書き直しをし読み返すと、また書き足したいことが出てくる。笑

人の感情や心は、面白いものだと思う。
一体、人の気持ちや感情はどこから生まれてどこへ行くのだろうかとも感じる。

In My Life

In My Life (Beegie Adair)

 

2007年の10月、あの時から2021年の10月で14年になる。

2003年の中学2年時に撮影

(私は昔から風景や写真を撮ることが好きだった。)

彼女と過ごせた僅かな時間は、自分の人生にとって宝物でもある。
ここに高校3年生の時の恋愛とその時の自分の気持ちを残しておきたい。

 

..というわけで、感傷に浸ってないで自分は色々とやらないといけないらしい。

彼女と出会ってから不思議と人生が加速したのか、修正されたのか、表層意識の部分では大きく変わるキッカケになった。

彼女と人生の一瞬の隙間で会えたのも何かの縁だと思う。
たった3回のデート、そして半年間という時間がこれだけ心残りとなったのも何か理由があるのだろうと。

自分には生まれた時からやるべきことがすでに決まっていたようだから、もう一度軌道修正で頑張ってみようと思う。

高校生のとき、早稲田大学を目指すときは彼女がいた。
彼女の存在が精神的にも大きかった。

今度は自分でやっていかないといけない。
茨の道だろうがこれまでのことを考えれば、すぐ慣れるだろうと思う。

 

自分にとっては幸せや喜び、寂しさ、悲しさ、辛さ、嫉妬、後悔と感情が湧き上がるような稀有な経験だった。
ゆうひの丘の夜景はそんな自分の人生を想い出させてくれる場所です。(2021年10月)