なぜ高学歴の大学生(特に東大生など)は使えない・つまらないと言われるのか

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高学歴は学歴のヒエラルキー(階級)で見るとトップでも、全体で見ると「異端」

「高学歴の人間は使えない、面白くない」というニュースがネットでは飛び回ります。

奇をてらった記事なのかは知らないですが、私の個人の意見としては、一概に「高学歴だからつまらない、社会(仕事)で使えない」ということは無いと思っています。

どちらかというと、個人差がある話だと思っています。

高学歴でもトンでもない人はいますし、iqなどの知能が高い人でも大学に進学せずに別の道で成功している人は数知れません。

 

しかし、「高学歴がつまらない・仕事ができない」と言われることにも原因があるのではないとは思います。

「火の無い所に煙は立たない」のように、何かしらの理由があるからこそ、そういわれる所以があると考えます。

今回は簡単に、「社会ではなぜ高学歴がそのように言われることがあるのか」について考えてみたいと思います。

 

 

まず高学歴は学歴のヒエラルキーで見ると「トップ」

高学歴と言われる大学生は「ヒエラルキー(階層)」で見ると、確かにトップです。

学歴のヒエラルキー(階層)

この図では単純に学歴で分けています。

大学進学率が約50%ですから、その中でも上位の大学生は階層で見ればトップです。

 

しかし、この階層で見る考え方以外にも方法があります。

 

全体で見ると高学歴は「異端」になってしまう

高学歴の大学生は偏差値が高いです。

偏差値というのは平均が50であり、これが一般的です。

この数値よりも高いまたは低くなればなるほど、その割合は減少していきます。

高学歴が異端な理由

偏差値で縦軸を取ってみる(横軸は何でも良い)と、偏差値の高い高学歴層はこの画像の中心から離れてしまいます。

偏差値は50前後が1番多いので、この円の中心に行くほど層が厚くなります。

例えば、同窓会などをして同じ年齢の友人が集まっても、偏差値50前後が多いわけです。

50から上または下のどちらかに行けば行く程、人数の割合が減り、最終的には「異端」となります。(悪い意味ではありません)

 

つまり、高学歴の大学生はヒエラルキー(階層)で見るとトップですが、全体を見てみると「数少ない少数派」となるわけです。

 

私は「高学歴が使えない・つまらない」という理由は、このヒエラルキーではなく「全体を見た場合」を考えれば理解できると思います。

 

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高学歴がつまらないと言われる理由は「この円」からかけ離れているからかもしれない。

つまらないと言われるのはいつか?といえば、会話なのではないかと思います。

高学歴がつまらないということを「会話」を例にとってみます。

 

 

人の興味が知能によって異なるという研究が過去にありました。

これでは音楽が例になっていますが、知能が高い人はクラシックを好むというものです。

URL:https://shuchi.php.co.jp/article/2538?p=1

 

確かに、所得の高い開業医のお医者さんの待合室はまずクラシックですし、ある友人の家(豪邸)に訪問した時はクラシック(ショパンの軍隊)がかかっていました。

クラシック音楽がこれだけ長年聴かれているのは、調律に人間が魅力を感じる本質があるのかもしれません。

その本質を見いだすのには、ある程度の知能が必要だということです。

これは芸術でも同じで、絵そのものに芸術性が無いといけませんが、その芸術性を評価できる知識や教養というものも同時に必要になります。

クラシックがこういっった場所で聴かれていることを考えれば、それは1個人の嗜好ではなく、もっと別の次元で結びついている物があるのではと予想できます。

 

 

話を戻します。

もし、上記のように知能(iq)と興味の対象に関連性があるならば、高学歴はつまらないと言われる理由がわかります。

音楽の話題ひとつにとっても、興味の対象が違うため「会話として深まらない」のです。

クラシック音楽が好きな人、興味が有る人は全体では少数です。

街角やスーパーの音楽はJ-POPですし、テレビドラマのBGMもほぼJ-POPです。

クラシック音楽は「メジャー」ではなく「マイノリティー」です。

 

クラシックに詳しければ、ショパンやバッハ、リストなどの名前が出て来てますが、知らない人にとっては「誰それ?」と思ってしまいます。

こうなると会話が深まらないので、可能ならばお互いが興味あることを話すか、場が冷めるかになってしまいます。

会話にも種類があり、「情報を収集するもの」や「意見交換」「感情の共感を求めるもの」などがありますが、このようにお互いの興味の対象が違う場合は「情報収集」にしかなりません。

 

 

 

これは音楽の例ですが、音楽以外にも日常的な会話の内容等でも「知能と興味の対象」には関係性があるのではないと思っています。

日常にあるものでは「テレビ視聴の有無」「スマホゲームの課金額」「プロ野球の球場観戦」「嗜好品の違い」など様々な部分で関係性が出るかもしれません。

 

全ての高学歴がiqが高いわけでもありませんが、学歴とiqに関係性があれば、「興味の対象の違い」が会話のつまらなさを生んでいる1つの理由になっていると思います。

 

 

 

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高学歴が仕事ができない理由は「異端」だからかもしれない

高学歴が仕事ができないということに関して、以前同じような話題で「東大生の3割は卒業後に「適応障害」になる」を書きましたが、これと似ていると思います。

 

社会では色んな人がいます。学歴・男女・年齢・所得・生活環境・出身都道府県、こういったものの異なる人が大勢居るのが社会です。

残念なことに、こういった社会から見てみると「高学歴」は異端です。割合から見ても社会では少数派です。

少数派はやはり少数派です。

 

 

私の友達に高学歴の頭の友人がいますが、彼の頭の中は正直天才的でぶっとんでいます。私は付き合いが長いので理解できますが、普通であれば理解できない人も多いだろうと思います。

少数派はそれが何であれ理解されにくいということがあります。

 

 

偏差値は偏りを示す物でもあるため、どちらかに極端に行っていれば、絶対数は少ない。偏差値でみると絶対に50前後が1番多いのです。高学歴になればなるほど、同じ人も少ない。

どっかの誰かが「テレビの広告はバカでもわかるようにしろ!」という主旨の発言で炎上したとか何かありましたが、あれは必ずしも間違いではないと言えます。その広告会社は高学歴の人間が多いのですが、世間で見ると偏差値50を基準に見ることがマス広告の基本だからです。まあ50は普通の偏差値でバカではありませんが。

この発言はもっと見てみると、「制作者と視聴者に乖離がある」ということを如実に表しているとも言えます。制作者が自分の考えだけで作ると、世間がその広告を理解できない、理解しにくい、浸透しにくいということです。

 

その乖離は、偏差値で考えれば知識や知能、情報処理能力なのではと思います。

昔から「大は小を兼ねる」と言われますが、営業等の対人関係などの仕事に関しては「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのではと思います。

余りにも考えや前提が違う相手とは話が合わなかったりしますし、相手の話を理解しにくいということがあります。また上述したクラシック音楽のように興味を持つ対象も異なることもあります。

また友人が少ないということもあるようです。これも彼らが少数派であることが関係しているかもしれません。

記事:https://www.fashionsnap.com/article/2017-11-03/iq-friends/

 

類は友を呼ぶのように、自分の周りには同じような人間が集まりやすい。

最近は高学歴は高学歴と結婚するという記事がありましたが、これは高学歴の人が高学歴に出会いやすい「機会」以外にも、原因があるのではないかとも思います。(会話や興味の対象など)

記事:忘れました。

 

話がまとまりませんが、数多くの少数派が理解されないように、高学歴も少数派です。知能や情報処理能力が多ければ多い程良いという状況が必ずしも活かされないというものが仕事なのかもしれません。社会では「自分と同じであること」が有利に働くことが多くあり、その上では高学歴という少数派が不利になることもあるのかもしれません。それが高学歴は仕事に使えないと言われる所以だと。もちろん情報は「新規性」や「奇抜性」が有る方が流通しやすいですから、この高学歴は仕事ができないということ自体も風説かもしれません。

 

最後に、学歴を知能の指標としてみるべきかについても議論はあります。学歴が高いとiqが高いのか、何をもって知能と言うかなど、この分野は非常に細かいです。

 

 

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